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第3回 ふね遺産認定のお知らせ

令和元年6月
ふね遺産認定実行委員会

さる令和元年5月20日に開催されました第3回ふね遺産審査委員会での審議により、第3回ふね遺産認定案件として下記7件が決定されました。詳細はKANRIN(令和元年7月号)で紹介する予定です。なお、今回から認定基準を変更し、非現存船も認定の対象としました。

第3回認定式は令和元年7月19日(金)に明治記念館(東京)にて執り行われます。

第3回認定案件

認定案件 所有者 / 所在地
「雲鷹丸」
現存する最古の国産鋼船で、水産講習所の練習船。大型蟹工船の先駆けでもあり、漁具の改良や人材育成など漁業の発展に貢献した。
東京海洋大学
「明治丸」
鉄船時代の英国造船技術を今に伝える我が国に現存する唯一の帆船。明治天皇の御召船や燈台巡廻船として使用され、後に商船学校において多くの船員を育てた。
東京海洋大学
幕末建造木造帆装軍艦「鳳凰丸」
我が国の技術役人と舟匠の創意によって建造された、大船建造禁止解禁後、初めての洋式帆船。
非現存船
幕末建造スクーナー型木造帆船「ヘダ」
ロシア人技術将校指導により和船の船大工が建造し、その後の我が国洋式船建造の礎となった帆船。
非現存船
「第十とよた丸」
我が国初の航洋自動車専用運搬船(PCC)。
非現存船
「ボール進水設備」
進水作業の効率化を実現した日本発祥の設備。
三菱造船(株)下関江浦工場
「長崎小菅修船場」
我が国近代造船業の黎明期に活躍した最も古い遺構。
三菱重工業(株)長崎造船所

審査委員会

審査委員会委員(順不同、敬称略、所属は当時)は次の通りです。

日本船舶海洋工学会会長
柏木 正(委員長)
日本航海学会会長
織田 博行
日本海事史学会会長
安達 裕之
日本マリンエンジニアリング学会会長
大松 哲也
ふね遺産認定実行委員会 委員長
小嶋 良一
日本船舶海洋工学会 理事
鳥井 幸典(欠席)

第3回 ふね遺産認定案件

〈現存船〉

(1) 雲鷹丸
ふね遺産第18号(現存船第7号):漁業の発展に貢献した現存する最古の国産鋼船

所有者
東京海洋大学
保管場所
東京海洋大学 品川キャンパス

現存する最古の国産鋼船で、水産講習所の練習船として活躍しました。大型蟹工船の先駆けでもあり、漁具の改良や人材育成など漁業の発展に貢献しました。

明治42(1909)年5月に大阪鉄工所(現 日立造船)桜島工場で2代目の練習船として建造されました。鋼製補助機関付帆装練習船で、総トン数444トン、船長41.2m、幅8.5m、速力12.5ノット、最大搭載人数は81名です。

世界で初めて船上でのカニ缶詰製造に成功し、大型蟹工船の先駆けとなった船でもあり、3本マストのバーク型米国式捕鯨船では現存する最古の船でもあります。昭和4(1929)年に引退するまでの約20年間で36回の航海を行い、約600人の実習生が乗船しました。昭和37年に現在地に移設され、平成10年に有形文化財に登録されました。

見学情報【登録有形文化財】 雲鷹丸 アクセス・見学のしかた

(2) 明治丸
ふね遺産第19号(現存船第8号):鉄船時代の英国造船技術を今に伝える我が国に現存する唯一の帆船

所有者
東京海洋大学
保管場所
東京海洋大学 越中島キャンパス

鉄船時代の英国造船技術を今に伝える我が国に現存する唯一の帆船です。明治7(1874)年 英国グラスゴーのネピア造船所で建造された補助帆付き双螺旋推進の鉄製汽船で、総トン数1027.57トン、船長68.6m、幅9.1m、深さ6.9m、速力11.5ノットです。

明治8年に日本へ回航され、明治天皇の御召船や燈台巡廻船として使用された後、明治29(1896)年、商船学校(現・東京海洋大学)に譲渡され係留練習船となり、以後昭和20(1945)年までの間に約5000人の船員を育てました。

船内の明治天皇御座所周辺の豪華な装飾もほぼ当時のまま保存されています。昭和53(1978)年に国の重要文化財の指定を受けました。

見学情報重要文化財明治丸:東京海洋大学

〈非現存船〉

(1) 幕末建造木造帆装軍艦 鳳凰丸
ふね遺産第20号(非現存船第1号):我が国の技術役人と船大工によって建造された大船建造解禁後初竣工の洋式帆船

所有者
非現存船
保管場所
──

嘉永6(1853)年に建造が開始され、嘉永7(1854)年5月に竣工した、我が国の技術役人と舟匠の創意により建造された洋式帆船です。技術官僚であった浦賀奉行の監督のもと、船大工が見分した洋式帆船をもとに建造しました。

図面は残っていませんが、構造・寸法・用材などについては詳細文書が残っています。一部和船技術も応用し、接合にボルトは使用せず和釘使用しています。また、塗装として密陀僧(一酸化鉛)を塗り、船底には銅板を貼る等の特徴があります。建造後函館戦争に榎本艦隊の輸送船として参加し、後に明治政府が所有するところとなりました。

(写真は鳳凰丸絵図:中島義生編「中島三郎助文書」より引用)

(2) 幕末建造スクーナー型木造帆船 ヘダ
ふね遺産第21号(非現存船第2号):ロシア人技術者指導の下、我が国の船大工が建造し、その後の洋式船建造の礎となった帆船

所有者
非現存船
保管場所
──

幕末に遭難したディアナ号の乗組員帰国のために建造されました。ロシア技術将校により洋式帆船として設計が行われましたが、建造には日本人船大工が参画しました。

安政2(1855)年3月10日に進水し、帰国航海後幕府に献上され、明治5(1872)年廃艦となって函館に係留されました。バウスプリットを含む全長は約24m、最大幅約7m、デッキ深さ約3mです。ヘダの名称は、建造された君沢郡戸田村に由来し、その後建造された同型船は君沢型と呼ばれています。

建造技術を学んだ関係者は、その後長崎伝習所に派遣されたり、操船・造船技術の教育や、蒸気船千代田型の建造に携わるなど我が国の造船分野の発展に貢献しました。

(写真は戸田造船郷土資料博物館蔵の模型)

(3) 第十とよた丸
ふね遺産第22号(非現存船第3号):我が国初の外洋航行型自動車専用運搬船

所有者
非現存船
保管場所
──

従来の外洋航行型自動車運搬船は、ばら積み兼用船で往航は自動車、復航はばら積み貨物を搭載し運航しましたが、初めて復航は空載とする本格的な自動車専用運搬船として誕生したのが本船です。

船主は川崎汽船株式会社、建造は川崎重工株式会社神戸工場で1970年7月9日に竣工しました。全長は160.0m、総トン数12,517トン、2,082台積みでした。

岸壁積込みや船内移動は全て自走方式で、PCC(Pure Car Carrier)と呼ばれる船型の先駈けとなりました。

〈船舶の建造施設〉

(1) ボール進水設備
ふね遺産第23号(船舶の建造施設第4 号):進水作業の効率化を実現した日本発祥の設備

所有者
三菱造船株式会社 下関江浦工場
保管場所
同上

昭和22年12月三菱日本重工業(株)横浜造船所にて考案、実用化されていましたが、三菱重工業(株)下関造船所に一括移管され、昭和56年2月以降現在も活用中です。世界で初めて考案された進水方式で、現在国内9造船所の12本の船台で活用されています。

ボール進水方式は直径約90mmの鋼製ボールを使用した進水方式で、進水法としては従来ヘット進水等がありましたが、摩擦係数の変動も少なく、作業性も向上し、進水作業の効率化に大きく寄与しました。

見学情報下関造船所史料館 | 三菱重工

(2) 長崎小菅修船場
ふね遺産第24号(造船関連資料第5号):我が国近代造船業の黎明期に活躍した最も古い遺構

所有者
三菱重工業株式会社 長崎造船所
保管場所
同上

修船場は就航した船の船底修理や清掃のために、船を修船架に載せて、海に向かった斜面に敷設されたレールの上を蒸気駆動などの原動機付きウインチで引揚げる設備です。乾船渠使用に比べ、時間的にも経済的にも利点がありました。

本施設は明治元(1868)年12月に竣工し、大正9(1920)年頃まで修船場として、また明治8年頃から20年頃までは新造船建造場としても稼働しました。

初期の状態を良く留め、我が国近代造船業最古の遺構であり、また1800年代の修船架としてほぼ完全な姿で残る世界唯一の遺構です。

見学情報小菅修船場跡(こすげしゅうせんばあと)|観光スポット|【公式】長崎観光/旅行ポータルサイト ながさき旅ネット
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