令和2年7月
ふね遺産認定実行委員会
歴史的で学術的・技術的に価値のある船舟類およびその関連設備などを「ふね遺産」(Ship Heritage)として認定し、社会に周知し、文化的遺産として次世代に伝えるため、日本船舶海洋工学会はふね遺産認定事業を行っています。
令和2年7月14日に開催されたふね遺産審査委員会での審議により、第4回ふね遺産として下記8件が認定されましたので、以下の通りお知らせいたします。
審査委員会委員(順不同、敬称略)は次の通りです。
第4回認定案件 | 所有者 |
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「第五福龍丸」 西洋型肋骨構造による現存する唯一の木造鰹鮪漁船 |
公益財団法人 第五福龍丸平和協会 |
「MERMAID」 堀江謙一氏による初の太平洋単独横断に用いられた合板製キングフィッシャー型ヨット |
San Francisco Maritime National Historical Park |
遠賀川五平太舟(川ひらた) 江戸から明治期にかけて、遠賀川で使用され、産業発展に重要な役割を担った川ひらたの現存船 |
福岡県芦屋町歴史民俗資料館 福岡県立折尾高等学校 |
日米船鉄交換船"Eastern Soldier"の図面原紙 大正期の鋼船構造および当時の建造技術を今に伝える日米船鉄交換船の基本設計図原紙 |
株式会社JMUアムテック |
「市川造船所造船資料」 幕末から昭和にかけての造船技術の変遷を伝える図面、図書、工具類一式 |
伊勢市 |
原子力船「むつ」 多くの技術的知見をもたらしたわが国初の原子力船 |
非現存船(国立研究開発法人日本原子力研究開発機構に認定書) |
「さんふらわあ」 わが国のクルージング・レジャー 大型豪華高速カーフェリーの先駆け |
非現存船(商船三井フェリー株式会社に認定書) |
「畿内丸」 昭和初期、日米航路の航海日数を大幅に削減し、本格的な高速ディーゼル貨物船時代をもたらしたパイオニア |
非現存船(株式会社商船三井に認定書) |
なお、第4回ふね遺産認定式は10月9日に開催予定でしたが、感染症等諸事情を考慮し中止となりました。
第五福龍丸は和歌山県の古座造船所で鰹漁船として1947年に進水した後、1951年に清水市の金指造船所で鮪延縄漁船に改造された。本船は1954年にビキニ環礁水爆実験で被災したことでも知られる。
木造鰹鮪漁船は戦後の食糧難の時代に数多く建造されたが、本船は良い状態で保存された現存する唯一の実船である。肋骨を有する西洋型木造船の構造を今に伝える貴重な遺産でもある。
保存展示されている同船の搭載エンジンは新潟鉄工所製250PSで、141台製造された中で唯一現存するのものとして貴重である。
当時一般的にディンギーで用いられていた合板をクルーザーに使用した本船は、堀江謙一氏がそれにより初めて単独太平洋横断を果たしたことで、キングフィッシャー型船型と相まってその優れた外洋航行性が証明された。
現在San Francisco Maritime Museumに保存されており、また航海日誌も現存する。50年以上にわたって、サンフランシスコ海事博物館は横山 晃氏設計のこの19"JOG(Junior Offshore Group)ヨットを保管展示し、その技術的、歴史的そして社会的意義を伝え続けている。
江戸から明治期にかけて遠賀川およびその周辺の石炭輸送手段であった川ひらたの現存船である。河川専用の浅喫水船で、状態よく保存されており、当時の産業インフラとして重要な役割を担った歴史を今に伝える。
積載量は大型で9トン(長さ13m余、幅3m余)、標準型で6トン、小型で3トンであった。
天保年間には5,000隻、明治18年には8,800隻の存在が記録されているが、明治24年に鉄道が敷設されたことにより、急激に隻数を減じ、最後の1隻が昭和14年(1939年)姿を消した。
播磨造船所にて1920年5月に完成した載貨重量10,625トンの貨物船 "Eastern Soldier"の基本設計図面原紙一式が100年余りを経て現承継会社のJMU アムテックにて保存されている。当時の造船設計能力や鋲接船の構造などの詳細を知ることができる。
第一次大戦中の船舶不足のアメリカ政府と日本造船業における鉄鋼不足を補完する為に、民間の努力で日米船鉄条約(1918年)の成立にこぎつけ、その対象となった対米輸出船45隻の中の一隻が本船である。日米船鉄条約を具体的に示す歴史的意義をもつ貴重な遺産でもある。
伊勢の市川造船所が作成保管してきた安政5年から昭和53年までの62080点の資料である。特に明治初期に始まる帆船、補助機関付帆船、機帆船、汽船と変遷する洋式木造船に関する多くの図面、関係書類は他にも例を見ない貴重な遺産である。
市川造船所は元禄15年(1702)創業とされ、昭和53年の倒産までの間多数の船舶を建造した。同社に残った貴重な造船資料は廃棄される恐れがあったが、旧市川造船関係者や故野本謙作大阪大学名誉教授らの努力により、平成26年2月に旧市川造船所労組から伊勢市に寄贈された。
1968年に起工、1969年進水、1991年に竣工した本船は、1995年に原子炉室が撤去されるまで、 設計/建造方法、運航方法、原子炉特性の把握、放射線遮蔽、解役方法、放射能汚染除去等、多くの原子力船に関する技術データを残した我が国唯一の原子力船である。
1991年から約一年、4回にわたる原子力動力の総航続距離は地球2周以上の約82,000キロメートルに及んだが、この距離を約4.2キログラムのウラン235で航行したこと、出港から入港まで放射性廃液を船外に排出することなく航行できることなどを実証した。
長距離カーフェリーはいわば陸上交通を補完する「海のバイパス」として発展してきたが、本船の出現は、クルーズ客船なみの設備を持ったクルーズフェリーの先駆けとなった。その後、「さんふらわあ」の名称を冠したフェリーは数多く建造されたが、その第1船を認定するものである。
1972年に川崎重工業(神戸)で竣工した第1船は、垂線間長170m、総トン数11311.99トン、航海速力24ノットであった。2軸2舵システムを採用し、バウスラスターやフィンスタビライザーを装備した高性能船で、船腹のさんふらわーマークは現在でも受け継がれている。
昭和5年三菱造船長崎造船所にて建造された。外国船社ディーゼル船の運航速度が当時13-14ノットであったのに対し18ノットを達成し、対米貨物輸送に大きな変革をもたらした。搭載された主機は国産(三菱Sulzer、2機2軸、8,262PS)で、垂線間長135.94m、載貨重量10,142トンであった。
本船は、日本から北米東岸への貨物輸送経路を舶車連絡(船舶+鉄道)からパナマ運河経由の直行ルートへ転換させ、物流イノベーションを起こす端緒となった。これ以後、日本船社が海外船社に先行して同航路において大型主機搭載船の建造を進め、独断場を築くこととなり、本船の存在が本格的な高速ディーゼル貨物船時代をもたらしたと言える。
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