日本船舶海洋工学会 ふね遺産認定実行委員会
歴史的で学術的・技術的に価値のある船舟類およびその関連設備を「ふね遺産」(Ship Heritage)として認定し、社会に周知し、文化的遺産として次世代に伝えるため、日本船舶海洋工学会が発足させたふね遺産認定事業も今年で第7回を迎えました。
令和5年5月24日にふね遺産審査委員会が開催され第7回ふね遺産認定案件として下記6件を決定しました。
審査委員会委員(順不同、敬称略)は次の通りです。
第7回認定案件 | 所有者等 |
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南極観測船「宗谷」
耐氷性、砕氷性を有する昭和期の南極観測船の嚆矢 |
公益財団法人日本海事科学振興財団(所有者)に認定書及び認定プレート(管理者は船の科学館) |
青函連絡船「八甲田丸」 安全性を重視した戦後第二世代の青函連絡船の先駆け |
青森市(所有者)に認定書及び認定プレート、特定非営利活動法人あおもりみなとクラブ(管理者)に認定書 |
青函連絡船「摩周丸」 安全性を重視した戦後第二世代の青函連絡船の先駆け |
函館市青函連絡船記念館摩周丸指定管理者特定非営利活動法人語りつぐ青函連絡船の会(管理者)に認定書及び認定プレート(所有者は函館市) |
新愛徳丸 機主帆従方式による我が国初の低燃費船 |
非現存(株式会社愛徳、JMU<旧日本鋼管>、日本舶用工業会<旧日本舶用機器開発協会>に認定書) |
サン・ファン・バウティスタ 江戸初期の遣欧使節派遣に用いられたわが国建造の唯一の洋式帆船 |
非現存(「サンファン号保存を求める世界ネットワーク(石巻)」に認定書) |
船舶航海性能試験水槽 世界初の耐航性・操縦性実験用角水槽 |
非現存(東京大学に認定書) |
昭和11(1936)年にソビエト向け耐氷貨物船として建造され、日本鋼管浅野船渠が改造を行い、昭和31(1956)年から南極観測船として使用された。現在、船の科学館にほぼ当時のままで係留されている。
新三菱重工業神戸造船所で昭和39(1964)竣工した。昭和29(1954)年の台風による洞爺丸事故のあと、安全性をより高めた戦後の第2世代青函連絡船のニ隻目として建造された。総トン数8,313.75トンで、歴代青函連絡船の中で最長の23年7ヶ月運航された。
平成2(1990)年からメモリアルシップとしてほぼ就航当時のままで、車両甲板に「控え車」を展示した状態で青森港内で公開されている、現存する青函連絡船2隻のうちの1隻である。
二重船殻構造を持ち、可変ピッチプロペラやサイドスラスターが採用された初期のフェリーで、運航記録、建造記録写真、図面等も保存されている。
三菱重工業神戸造船所で昭和40(1965)年に竣工した。昭和29(1954)年の台風による洞爺丸事故のあと、安全性をより高めた戦後の第2世代青函連絡船の一隻として建造された。総トン数8,328トンで、昭和63(1988)年まで運航された。
平成3(1991)年からメモリアルシップとして公開され、ほぼ就航当時のまま保存されている、現存する青函連絡船2隻のうちの1隻である。
二重船殻構造を持ち、可変ピッチプロペラやサイドスラスターが採用された初期のフェリーである。膨張式シューターなどの救命設備、運航記録、建造記録写真、図面等も保存されている。
石油危機の状況下で新たに開発された、機主帆従方式(通常はエンジン駆動で、帆の推力が増加した場合は機関の出力を低減させる制御方式)による省エネルギーを図ったタンカーで、昭和55(1980)年に竣工した。
鋼製の矩形フレームに帆布を張った構造とし、展縮・施回機構を装備した帆装置で、燃料消費量の低、減揺効果による耐航性の向上、それに伴う稼動率の増加と波及効果も明らかになった。本船は類型船16隻の先駆けとなった。また、ゼロエミッションが海運界にも要求されることとなり、2022年に至って、新たなコンセプトの帆装商船の建造再開に結びついた。
慶長18年(1613)7月竣工。太平洋を2往復した後、マニラで売却された。
我が国からの使節をヨーロッパに派遣するために建造された洋式帆船としては最初である。
本船自体の情報については、若干の古文書と絵画が残されていただけであるが、寳田直之助氏の時代考証により、その仕様が研究され実物大復元船の建造に至った。
日本船舶海洋工学会も同復元船の保存を働きかけた経緯があったが、令和4(2022)年に解体された。現在、その詳細な時代考証資料が保管されている。
コンピュータ制御によるX-Y曳引電車を装備した世界で初めての角水槽であり、今日の船舶海洋水槽の礎を築いた。
この水槽は広い水面を必要とする船舶の航海性能の研究や各種海洋構造物の開発研究に貢献した。特に操縦性の分野ではそれまでの特殊な円形水槽に代わるCMTと呼ばれる画期的な試験法が開発され、今日では標準的な試験法になっている。
船舶工学における流体力学の確立・発展に加えて、船舶・海洋構造物の技術開発や教育・人材育成に多大な貢献をしてきた。1970年3月竣工され、2022年解体された。