佐世保重工業(株)総務部 廣津 忠
当社には非常に小規模ですが、資料展示室を設置しています。今回はこの資料展示室をご紹介します。
面積はわずか25坪ほどですが、大きくは二つのコーナーから成り立っています。一つは昭和21年10月に民間企業としてスタートした当社 (設立当時「佐世保船舶工業(株)=SSK」) のコーナーと、もう一つはルーツとなる旧佐世保海軍工廠の資料を展示したコーナーとなっています。
SSKコーナーでは、これまで当社で製造してきた船舶、クランク軸、修繕船などのパネル写真を中心として掲示され、会社紹介DVDの視聴コーナー、舶用ディーゼルエンジン (クランク軸) やジャイロフィン・スタビライザーの「動く」模型、鋲打機などの工具が展示されています。
海軍工廠コーナーでは、ゆかりのある人物の写真や資料、当時建造された戦艦や潜水艦など、まさに「坂の上の雲」の世界が展開されています。また、ドックや係船池等を築造した際の資料やユニークな物では、約150年前の先込式砲身が展示されています。この砲身は第5ドック (築造当時は第1ドック) の扉船を新替えし、旧扉船 (明治28年三菱長崎製) を解体した際に内部から見つかったものです。バラスト替わりに入れたのではないかと考えられています。
個人的に最も興味深いのは、工廠時代の「工員養成所」に関する資料です。明治22年に開庁した佐世保鎮守府ですが、同26年から工場徒弟制を取り、見習工の養成を始めます。同40年には佐世保工商業補修学校での学習が併用され、大正に入ると「見習工教習所」、昭和15年に全寮制の「工員養成所」へと進化を遂げます。工員養成所への入所は、かなりの難関であったといわれ、昭和12年には3410名が応募、採用は230名だったとの記録があります。
教科目も、修身、国語、数学、理科、図学、電気、水雷、砲熕 (ほうこう)、材料、応用力学、造船学、機関学と多岐に及び充実したものとなっていました。工員養成所時代の教科書や定規などの用具、鍛錬の様子などの写真も展示されています。
当社の沿革冒頭には「旧佐世保海軍工廠の巨大な造船施設の設備の一部を借受け」と記されていますが、むしろ「旧佐世保海軍工廠出身の優秀な技術者、技能者を引き継ぎ」とするべきかもしれません。
廣津 忠
佐世保重工業(株)総務部
総務・人事