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西部支部メールマガジン第79号

「練習船霧島丸の遭難碑」が「ふね遺産」に認定されました

鹿児島大学水産学部 須本 祐史

霧島丸の遭難碑外観
霧島丸の遭難碑外観
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霧島丸の遭難碑外観
霧島丸の遭難碑外観
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記録物「壮烈」
記録物「壮烈」
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初代日本丸模型
初代日本丸模型
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鹿児島大学水産学部の敷地の住宅街に面した一角に「霧島丸の碑」と書かれた白い立札があり、その少し向こうに石碑があります。この石碑は約90年前に発生した霧島丸の遭難事故を後世に伝え続けてきました。

鹿児島大学水産学部の前身である県立鹿児島商船水産学校は、「霧島丸」という総トン数998トンの4本マスト・バーケンティン型の帆船を所有していました。霧島丸は昭和2年 (1927年) 春に南洋への遠洋航海中に犬吠埼沖で猛烈な嵐により遭難し、実習生30名を含む殉職者53名を出す当時の練習船の遭難としては大規模なものとなりました。

船員養成環境の改善を望む声が上がっていた折に発生したこの海難が大きなきっかけとなり、練習帆船「日本丸」・「海王丸」の建造や、文部省航海訓練所 (当時) の設立にいたり、近代的な船員養成環境の整備が進められました。その歴史的意義から、このたび霧島丸の遭難碑が「ふね遺産」に認定されました。

碑は昭和5年頃の建立で、標題の「壮烈」は東郷平八郎元帥の揮毫によるものです。霧島丸の遭難に関係する史料としては、「壮烈」と題された記録物や、戦後に文部省から移譲された初代「日本丸」の模型があり、いずれも水産学部内に展示・保存されていて、近代的な船員養成が行われるきっかけとなった事故を後世に伝えています。

須本 祐史
鹿児島大学 水産学部
水中ロボット

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