長崎総合科学大学工学部工学科船舶工学コース 堀 勉
長崎総合科学大学工学部工学科船舶工学コースの発祥は、1943年に長崎市街の南に位置する香焼島 (西彼杵郡) に開校された川南高等造船学校の造船工学科であり、1944年に川南造船専門学校、1945年に長崎造船専門学校へと校名変更された。
その後、1950年に、3年制の長崎造船短期大学として開学し (図1)、当初は、造船科 (造船専攻・機械専攻) のみであった。その後、1961年に現在の東長崎地区 (長崎市網場町) に移転し、翌1962年に造船科・機械科・電気科に改組した。この東長崎地区は、長崎港やグラバー邸がある長崎市街と諫早市の中間に位置し、キャンパスは、橘湾に隣接する山沿いにある。
1965年に、4年制の長崎造船大学として開学した。当時は、工学部のみの単科大学で、船舶工学科・電気工学科・建築学科の3学科であったが、その後、1968年に機械工学科、1972年に管理工学科を加えて、5学科編成となった。大学の略称は "造大" で、学園祭は、現在も "造大祭" として実施し、親しまれている。
1978年には、学名を現在の長崎総合科学大学 (略称 : NiAS) に変更し、船舶工学科が属する工学部に加えて、2001年に人間環境学部(2009年に環境・建築学部に改組)、2005年に情報学部を増設し、3学部編成となった。
2014年から、現行の工学部工学科 (船舶工学・機械工学・建築学・電気電子工学・医療工学の5コース) と、総合情報学部総合情報学科 (知能情報・マネジメント工学・生命環境工学の3コース) の2学部2学科8コース制である。1学年の定員は、8コース全体で235名、うち船舶工学コースは30名である。
本学の歴史的経緯から、学長も当初から造船界の碩学が多く歴任されていて、著者がお会いした限りでも、木原 博 (6-7代)、元良 誠三 (8-9-10代)、井上 正祐 (11代)、貴島 勝郎 (16-17-18代)、木下 健 (19-20代)、池上 国広 (現21-22代) の、お名前が挙げられる。
上述してきたように、本学工学部工学科船舶工学コースは、長崎造船専門学校以来70年以上の造船教育を実践する伝統を引き継ぐ、本学の母体を成すコースであり、船舶工学コースの歴史は、そのまま、長崎総合科学大学の歴史でもある。
1965年に、長崎造船大学としてスタートした工学部船舶工学科は、1978年には、学名を現在の長崎総合科学大学に変更し、その後、時代の要請に応えるべく、1984年に「海洋コース」を設置し、1998年には、当学科と連携する「海洋スポーツ・文化センター」を開設した。センター長は、当初から、当コースの教員が兼任して務めている。
1989年に「船舶海洋コース」と「システム情報コース」を、2004年には「造船技術コース」と「海洋フロンティアコース」を設置して、教育を実践してきた。
2014年の学部学科改組により、50年に亙る船舶工学科から、現在の工学部工学科船舶工学コースに組織変更されて、現在に至っている。
2016年には、新技術創成研究所の海洋・複合新技術部門に、当コースの教員を中心に、「海洋エネルギー研究センター」を発足させた。
船の基本性能である「Speed (速力)、Stability (復原性)、Strength (強度)」の3つの頭文字のSに、System (ICTを利用したシステム) のSを加えた、3S + Sの学びを軸に、造船教育を実践している。
この教育を実践するため、コア・カリキュラムとして、「流体系」、「浮体基礎系」、「構造系」、「設計系」の4本の科目群の柱を用意している。併せて、海洋を仕事場とする技術者をも育成できるよう、海洋把握力を養う「海洋系」の科目群を配置すると共に、修学基礎能力を養う「基礎系」と技術者倫理を醸成する「総合系」の科目群を加えた、カリキュラム構成である。当コースの教育・研究の詳細については、ホームページをご覧ください。
本学の船舶工学コースの特長として、海に臨んだ環境を活かし、前述の「海洋スポーツ・文化センター」と連携して、海洋実技の科目として「操船学同演習」を開講し、隣接する網場湾で、シーカヤック (図2左) やプレジャーボート (図2右) の操船技術や航海計画を修得し、シーマンシップを涵養している。
堀 勉
長崎総合科学大学工学部工学科船舶工学コース
水面波動力学