図1 Hassalt橋の破壊状況 (1938(昭和13)年3月14日)[拡大画像] |
図2 大型タンカー (88,461 D.W.T.) の損傷状況 (その 1) (1968(昭和43)年8月9日)[拡大画像] |
図3 大型タンカー (88,461 D.W.T.) の損傷状況 (その 2) (1968(昭和43)年8月9日)[拡大画像] |
図4 航行中に船首部が流失した大型タンカー (130,000 D.W.T.) の損傷状況 (1974(昭和49)年5月19日)[拡大画像] |
図5 大型タンカー (96,227 D.W.T.) の損傷状況 (1976(昭和51)年9月11日)[拡大画像] |
平成 7 年 1 月 17 日早朝の阪神・淡路大地震による震災のつめあとを見れば、大型構造物が損傷を受けると、人命を奪うばかりでなく、その復旧はいかに大変であるかがよくわかる。
10,000TEU 級の大型コンテナ船や、25 万トン原油を積める大型タンカー、および本四橋 (瀬戸大橋) などの大型橋梁、あるいは 10〜20 万 m3 もの液化天然ガスを蓄えることができる大型貯槽などの大型鋼構造物が、損傷を起こすことなく、全寿命 (大型船の場合 20 年間ぐらい、大型橋梁の場合 100 年間ぐらい) において機能をまっとうできるような高信頼性を確保するためには、どのような考え方で設計・建造・メンテナンスすればよいかは、現在の技術を駆使してもかなり難しいことである。
過去に起こった大型鋼構造物の損傷例を十分解析・検討することは、巨大鋼構造物の高信頼性を確保できる設計・建造・メンテナンス技術を開発するために、必要不可欠なことである。それは、実物の損傷例は模型を使って行う実験とは異なり、実物実験の結果であることから、貴重な情報をたくさん提供してくれるからである。
ベルギー・ルーバン大学の A. Vierendeel 教授が企画・推進して、1933 年以降、50 以上の橋がベルギー国内各地に架設された。図 1 に示す Hasselt 橋 (長さ約 74.5m、幅約 14.4m) は、その一つである。1937 年 1 月 19 日に載荷試験に合格して完成したが、1938 年 3 月 14 日に突然崩壊してしまった。現場工作にも溶接を適用した "全溶接構造橋" であった。使用鋼材や溶接技術に対する事前の検討が不十分であったことが原因であるとみなされているが、強大な権力を有したボス的教授が企画・推進したために、チェック機構がなかったか、あっても機能しなかったものと指摘されている。"壊れる" ことは自然現象であり、権力や財力の及ぶところではないこと、また、設計・建造・あるいはメンテナンス担当者の能力次第で決まるという、大きな教訓を残してくれた。
図 2〜図 5 に示す大型船の損傷がなぜ起こったか、解析・検討した結果、大型船の強度・信頼性を高めるためにはどのように設計・建造・メンテナンスすればよいかという、"破壊管理制御の考え方" を編み出すことができた。
25 万トン原油を積めるような大型タンカーになると、船体の長さは 300m 以上にもなり、1 隻建造するのに約 700〜800km ぐらいの長さを溶接しなければならない。また、船体に使用される鋼板は、厚いところで約 30mm である。したがって、厚さ 0.1mm の紙で長さ 1m の船を作ることを想像してほしい。アルキメデスの原理で海に浮かんでいるのであるから、原油を満載した状態でも必ず空艙がある。したがって、大きな力に必死に耐えている部材が必ず存在する。しかも、20 年間使用されるとすれば、波浪によって約 1 億回揺れる勘定になる。700〜800km も溶接してあるカラダであるから、潰瘍の源になる "応力集中箇所" は無数に存在しているはずである。
船体のどこかに小さな潰瘍 (疲労クラック、局部座屈など) ができたとき、その潰瘍の成長状態を観察・監視しながら、致命的な癌になる前に手術して、元気なカラダに戻してやることができれば、強度・信頼性はかなり向上する。これが、破壊管理制御の考え方である。このような考え方は、本四橋などの大型橋梁・大型貯槽 (LNG タンク、LPG タンクなど)・航空機など、多くの大型構造物に取り入れられている。
大型鋼構造物の高信頼性確保と高付加価値化を実現していくためには、多くの損傷・破壊例が残した教訓を謙虚に受けとめて、前向きに、合理的に、今後の糧にする必要がある。なぜなら、大型鋼構造物が "壊れる" ことも、"全寿命において機能をまっとうする" ことも自然現象であり、それは担当者の能力次第で決まるからである。
自然現象は正直であり、絶対に嘘はつかない。また、絶対に我慢もしてくれないのである。