下関造船所は、1954 年に我が国初の本格的な全アルミ合金製高速艇である 15m 型巡視艇「あらかぜ」を建造して以来、約 150 隻の高速艇を建造しており、その中で海上保安庁の高速巡視船艇は 53 隻を数える。ここでは、筆者が 30 歳頃に計画を担当した 30m 型巡視艇「むらくも」の計画設計、耐波試験の思い出を紹介する。
N794 30m型むらくも [拡大画像] |
「むらくも」主要目等 (1978 年 3 月引渡)
総トン数 | 149.37トン (新トン数では約 90 トン) |
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全長 | 31.0m |
幅 | 6.30m |
深さ | 3.30m |
主機 | 池貝 MTU16V652 2,200PS × 2 |
海上保安庁は、1972 年に戦後の制約下で建造した巡視船艇の新換えと将来の展望を得るべく識者を集めて「巡視船艇等技術懇談会」を開催し、そこで巡視艇の高速化 (30kt 前後) が話題の一つに挙がった (補足 : 当時新鋭の 21m 型巡視艇は、池貝ベンツ MB820Db 1100PS × 2 基を搭載し、26kt であった)。
その後、何度か検討が試みられたが要求を満足する適切な主機がないため、具体化されないままに推移していた (補足 : 池貝鉄工 (当時) が MTU16V652 をライセンス生産することとなり、主機の問題は解決された)。
1977 年に「領海及び接続水域に関する法律」が施行される運びとなり、領海が 3 海里から 12 海里に拡大されて、領海警備の巡視船艇の大幅な拡充が必要となり、ヘリ搭載型巡視船、30m 型巡視艇が建造されることとなった (補足 : 同年度補正計画から 1,000 トン 型巡視船 28 隻の大量建造も開始されている)。
30m 型巡視艇は、2 隻が同時に予算化され、1 番艇「むらくも」(南方型) を当社が、2 番艇「きたぐも」(北方型) を日立造船 (当時) が受注した。
本艇の船型は、速力性能、耐航性能、動揺特性等重視するポイントにより、色々な案が考えられる状況にあった。装備技術部の線図案に対して、当社は船首のチャインを高くしたディープ Ω 傾向の強い修正を提案し、船舶工務官殿とも議論の上線図を決定した。契約から引渡迄 9 ヶ月の工期で、各種の検討をしなければならない新型艇としては極めて短く、2 社の設計が短期間で同時進行したため、2 隻の線図は若干相違するものになった。構造、各部ぎ装も異なっており、外観的にも一目で識別できるものとなっている。
むらくも一般配置図[拡大画像] |
重量重心の推定、把握、軽量化は、高速艇の設計では特に重要である。重量的には余裕を持ちたいが、速力も厳しいので、いかに精度良く推定するか苦労した。満載排水量は、線図決定時には 88t、初期計画計算では 2% のマージンを持って 90t、その後の設計、建造進捗に従いマージンもカットして 89t、最終的には 89.5t と推定した。
当時巡視艇の重量重心は、船殻等は図面から部材を拾って計算するが、搭載する物品は実測を原則としていた。船台の乗込口に小屋を設け、積み下ろす全ての物品の重量を計測し、搭載品、撤去品、仮搭載品 (工具等) に区分して重量認票に記載する方法であるが、1 項目の物品が数回に分けて搭載されたり、複数項目がまとめて計上されたり、重量計算書にまとめるのには悩まされた。
この頃連続建造していた特 23m 型巡視艇は、完成予想と重査結果の誤差が ±200kg (喫水で ±2mm) 以内であり、新艇もこれに近いレベルの精度が期待されたが、重査結果は、88.84t、不明重量 -630kg (喫水で -5mm) で、なんとか許される範囲であった。軽量化には努力したつもりであったが、「きたぐも」が約 2t 軽いと聞いた時は、ショックであった (補足 : 北方型は冷房装置を搭載してないが、仕様差は約 0.5t と見ていた)。
海上保安庁の基本設計方針では、4/4 出力で 30kt を超えることが目標とされた。装備技術部では、プロペラは機関が担当されており、エンジンをトルクリッチから保護する要望もあり、軸系のあり方、プロペラ選定、速力の推定方法等につき機関の船舶工務官と何度も議論を行った。
その頃迄の魚雷艇、23m 型巡視艇等は減速しておらず、プロペラ回転数は 1,400〜1,700rpm 程度であった。これは、減速機、軸系の重量軽減、付加物の小型化による抵抗減のメリットを評価してのことあるが、高回転はキャビテーション面でも問題があり、減速比 1.1 と 1.5 の比較計算を行い、1.5 が優速であることを示して採用された (補足:以降の当社の高速艇は、プロペラ回転数 1,000rpm 程度となっている)。
3 翼エアロフォイル型固定ピッチプロペラの採用は決定していたが、キャビテーションのブレークダウンの推定が難しく要目は容易に確定できなかった。何度も計算を繰り返し、ようやく Dp (プロペラ直径) : 1.045m、p (ピッチ比) : 1.35、Ae/Ad (展開面積比) : 1.0 に決定した。
プロペラ変更試験を実施することになっており、少し重めのピッチ比 1.38 の試験プロペラが用意された。まず、このピッチ比のプロペラを取り付けて速力試験を実施、入渠してピッチ比 1.35 の本プロペラに換装して再度速力試験を実施した。速力は 4/4 負荷で各々 32.01kt、31.11kt で目標値は達成したが、本プロペラは若干軽めの馬力で、ピッチ比 1.38 を本プロペラとして採用することとなった。予定外の再入渠、ペラ換装を行い運動性能等の諸試験を実施する羽目となり、計画担当としては誠に面目ない次第であった。ただ「きたぐも」より若干優速だったと聞き及び少し救われた。
耐波試験海域 [拡大画像] |
本艇は、完成時に耐波試験をすることが仕様書で要求されていたので、重査後の 3 月 6 日に耐波試験を実施することで計画した (補足 : 引渡 18 日前)。耐波試験は、余り海象が悪すぎても出来ないし、良くてもだめなので、数日の予備日をもって計画することが望ましいが、後に 4 回の海上諸試験、性能審議会とスケジュールが詰まっており、この日しか当てることが出来ない状況にあった。まだ 3 月始めで響灘では相当な波浪が期待出来るとして、ゲージ張り、計測配線、機器調整等を鋭意進めた。
さて 当日の状況について、試験報告書の概要から引用すると、
「初期の計画においては、響灘蓋井島周辺海域にて試験実施の予定であり、第 7 管区海上保安本部より観測船として 450 トン型巡視船「くさかき」の派遣を得て、波浪中航走状態の写真・8 ミリの撮影および波高の計測を実施の予定であった。しかしながら試験当日前後においては、比較的平穏な天候下にあり、予定海面では波高が約 0.2〜0.4m と、目標とした 1m にはほど遠く、「くさかき」より航走時の写真ならびに 8 ミリを撮影したに留まり、波高計測は実施できなかった。
本艇は「くさかき」より別れ、波を求めて長躯 壱岐北端若宮燈台沖まで航走し、試験を実施した。しかし波浪は時間と共に低減する傾向にあり、海面の移動もあり試験開始時と終了時には波高はかなり違っているので、計測値の相互間の比較には留意する必要がある。」
縦横揺 2 点、船体応力 10 点、上下加速度 5 点 (操舵室椅子を含む)、マストの応力,加速度各 2 点、計 21 点の計測準備を懸命に行って良いデータが採れることを期待していた我々にとって、この海象はショックであった。帰港して波が出るまで待機することもスケジュール的に許されず思案していた所、同乗されていた船舶工務官が無線で各地の波浪状況を問い合わせされ、若宮燈台沖に波があると教えていただいた。海上保安庁の情報網はさすがにすごいと感激したものである。
「波を求めて長躯」と表現しているが、図に示すように予定試験海域から若宮燈台沖迄約 50 海里、3 時間の耐波試験を実施して、対馬東方海域から下関に帰港する迄約 70 海里である。これを決断し、実行できたことは、当時としては画期的な本艇の航走能力によるものであり、設計に携わった者にとって誇らしく思われた。
条件的に良好な耐波試験とは言えなかったが、試験結果は、記録資料付き 362 ページの報告書として取りまとめることが出来た。最大計測値は、速力 30kt、目視波高 1〜1.5m の状態で、船首上下加速度 Max 2.3g〜 Min. -1.0g、縦揺角 (両振幅) 7.4 度、横揺角 (両振幅) 14.9 度、ガンネル部応力 (中央部) 5.6kg/mm2(sag) であり、上下加速度は、耐波試験結果が得られていた実績のあるディープ V 系、ディープ Ω 系船型の高速艇と同等か、やや優れていると評価された。
さようなら「むらくも」(解体処理中) [拡大画像] |
当時としては、画期的な速力と大きさを持つ 30m 型巡視艇は、使用実績も良好と評価され、その後 同型艇が当社で 10 隻、日立造船 (当時) で 11 隻建造され (合計 23 隻)、海上保安庁のワークホースとして活躍している。
「むらくも」は、対馬周辺海域の領海警備・救難業務に従事し、2002年8月に25年間の役目を終了して解役、解体処理された。
なお「むらくも」の名称はユニバーサル造船建造の新30m型巡視艇に引き継がれている。