前編からの続き。
荷役は 4 港を訪れることが出来ました。その 4 港の中で、MILAZZO (イタリア) 以外は沖に設置されたアンカーブイにムアリングし荷役となりました。ムアリング方法も港によって違いがあり、実際に C. B. M. と S. B. M. を見ることができました。
C. B. M. (写真 14) (図 1) とは、"CONVENTIONAL BUOY MOORING" の略で、5 点係留となっていました。この係留方法が、一般的な係留方法であると言うことでした。
次に、S. B. M. (写真 15) とは、"SINGLE BUOY MOORING" の略で、その名の通りアンカーブイは 1 つしかなく、1 点係留となります。係留装置は船首の E. T. A. (EMERGENCY TOWING ARRANGEMENT) を使用し、オイルホースもアンカーブイ経由で、船舶の動きに応じて回転するようになっています。
また、オイルホースは海面から HOSE HANDRING CRANE でデッキまで引張り上げ、マニホールドでコネクションします (写真 16)。コネクション部は、フランジをボルトナットで締め付けるのではなく、クリップタイプや挟み治具による 4 点締めでした。傍から見ていて漏れそうな感じでしたが、意外と頑張っていました。コネクションが終了すると、ダイバーチェックが行われていました。
写真16a HOSE CONNECTION (その1)[拡大画像] | 写真16b HOSE CONNECTION (その2)[拡大画像] |
写真16c HOSE CONNECTION (その3)[拡大画像] |
MILAZZO (イタリア) のバースでは、オイルパイプのアームをリモコンで操作し、フランジ取り合い部へ合わせると、締め付けは油圧ジャッキにてわずか数分でコネクションが終了しました (写真 17)。
本船の積荷は BELAYIM BLEND CRUDE OIL でした。LOADING は 3600ton/h で80,000ton 積み、約 26 時間を要し、DISCHARGE はカーゴポンプ 2 台で、回転数 1350rpm、2400ton/h、80,000ton 全てを荷揚げしました。最終的には各タンク共エダクターを使用し、SLOP(P) に溜め、STRIP. PUMP で SLOP(P) を引き、ライン残油引きを行い、終了しました。デッキ上ライン残油確認はパイプを叩き、音を聞いて確認していました。
LOADING、DISCHARGE 中は、消火器、油処理の道具、消火ホースはマニホールドに常備され、ターレットノズルもマニホールドに向けてセットされていました。また 1 時間おきに各タンクを MMC でアレッジ計測し、コンソールのレーダーによるアレッジの値と共に、記録していました。
C/O は、荷役中コンソールから離れられず、夜には折りたたみベッドをカーゴコントロールルームに設置し、休みながらワッチ (写真 18) をしていました。
写真18 C/O ON THE BEACH BED[拡大画像] |
オイルホースは荷役終了後取り外し、ブランクフランジをして、アンカーチェーンを外すと、UPP. DK. から海へ落としこみでした (写真 19)。
バースではそうでもなかったのですが、沖でのオイルホース着脱作業は港の作業員が乗船し作業しますが、ヘルメットもかぶらず、ワイヤーも素手で握り、ハンドレールからは外板に身を乗り出すなど安全についてあまり気に掛けていない感じで、見ていてヒヤヒヤしていました。
本船は紅海から地中海に抜けるためスエズ運河を航行しました。スエズ運河の入口に近づくと非常に多くの船舶が停泊し、順番待ちをしていました。本船も2日程待ち、ようやくパイロットが乗船し、スエズ運河に向かうこととなりました。入口の手前でムアリングマン 3 名が HOSE HANDRING CRANE にボートごと吊られて乗船 (写真 20) してきました。
何をするのかと見ていたら、A-DK. の通路に日用品や、パピルス、木彫りのピラミッド、絵皿などの記念品等を並べ始めました。噂に聞いていた商店 (写真 21) が開店しました。クルーも幾つか購入しており、私もパピルスなどを購入しました。お釣りに、エジプトの 25 セントを記念にと言って渡されたのですが、ありがた迷惑に感じました。
スエズ運河を航行する際、パイロットが交代で 2 名乗船してきました。一人目のパイロットは、額にアザがあり気になっていましたが、12 時 50 分にその理由が分かりました。航行中にもかかわらず、そのパイロットは 135 度の方角を向きお祈りを始めました。額のアザはそのお祈りによるものでした。15 時 50 分にも 2 回目のお祈りを始めました。方角は同じく 135 度でした。
またパイロットは下船する前にキャプテンから何かを手渡されていました。中身を確認したパイロットは、不服そうにキャプテンと話しをすると、直ぐにキャプテンはタバコを 2 カートン追加で持ってきました。最初に 3 カートン渡したのですが、足りないということを言っていたようです。結局 5 カートン持って下船しました。キャプテンに聞くと、もめると本船を止められることもあるので、タバコを渡して、直ぐに下りてもらう方がよっぽど良いと言っていました。
スエズ運河は約 162.5km あり、約 14 時間掛けて航行しました。
スエズ運河を抜け、約 2 日ほどでイタリアのシチリア島にある FIRST DISCHERGE PORT "GELA" に到着しました。GELA も沖での荷役となり、遠くに街が見えていましたが、下船は出来ないだろうなと、諦めていました。しかし、クルーが街に買出しに行くこととなり、それに便乗し、約 1 ヶ月振りに陸へ上がれることとなりました。通船で下船し、12 時頃に GELA の街に到着すると、通りには車がごった返し、街の中心にある教会前の広場にも、人が大勢いました (写真 22)。
写真22 GELA の街[拡大画像] |
まずクルーと共に銀行に行き、ユーロに換金し、銀行から出ました。ちょうど 12 時半くらいだったのですが、さっきまで人や車で一杯だった通りは閑散とし、何件かあった店舗も閉店していました。なぜだろうと、街の人に聞いてみると、この街の仕事をする時間帯は 8 時〜12 時、16 時〜20 時だそうです。12 時〜16 時は昼寝の時間だ、と言っていました。その為、12 時頃は仕事を終え、帰宅している人々だったのです。
GELA の街並みは、古いヨーロッパ風の建物が立ち並び趣深いものがあり、散策していると一軒のファーストフード店を見つけました。本場のピザを食べようと注文したところ、ヨーロッパ圏の人はみんな英語が出来ると思っていたのですが、店員は全く英語が分からない様で、支払いにかなりの苦戦を強いられました。
短い時間でしたが、初めてのヨーロッパを感じることが出来ました。また働く時間帯が違うなど、今まで当たり前と思っていたことが他の国では異なっているなど、異文化を実感することができ、貴重な経験となりました。
本船の乗組員は全員がインド人であった為、覚悟はしていたのですが、やはり食事はカレーがメインでした。カレーと一口に言っても様々な種類がありました。ベジタブルカレー、チキンカレー、ポークカレー、ビーフカレー、ビーンズカレー、フィッシュカレー、ヨーグルトカレーなど、これらのカレーを日曜日以外は昼も夜もローテーションで食してきました (写真 23)。
日曜日の昼食は、ベジタブル・ビリヤニと言うインドの伝統的な食べ物で、野菜の炊き込みご飯の様なものでした。夕食は、ビーフステーキ、ローストビーフ、タンドリーチキン、フライドポテトなど、私好みの食事となっていました (写真 24)。
前に船乗りは曜日感覚を養う為に、週に一度カレーの日があると聞いた事がありましたが、本船では週に一度だけカレーではない日がありました。その日はハッピーサンデーを実感することが出来ました。クルーも日曜日の食事を非常に楽しみにしていたので、カレーに飽き飽きしているのではないかと思いました。また夜食用に積込まれていたカップラーメンもカレー味で、これはまさに自虐行為ではないのかと感じるほどでした。
約 1 ヶ月半ではありますが、船乗りの生活、インド人の食生活を、身をもって体験することができました。このような機会を与えて下さった船主殿、またサービスエンジニア乗船中にサポート、アドバイスをして頂いた名村マリンをはじめとする関係各位へ深く感謝致します。今後もこの貴重な経験を、業務に活かせるように努力いたします。
次回は、パナマ運河航行を目標としたいと思います。