* 数え年100歳以上の長命を上寿という。
写真1 建造中の第一船渠[陸側から見る] (明治27年頃)[拡大画像] |
写真2 建造中の第一船渠 [海側から見る] (明治27年頃)[拡大画像] |
写真3 現在の第5ドック (旧第一船渠) [海側から見る][拡大画像] |
写真4 ドック配置図 (昭和20年頃)[拡大画像] |
我が社には旧佐世保海軍工廠の施設をそのまま引き継いだ大小 6 つのドックがあり、どのドックも現在でも現役バリバリで活躍している。
それらのドックの中で最も古いのが第一船渠 (現在の呼称は「第 5 ドック」) である。この第一船渠は、明治 26 年 3 月に起工され同 28 年 12 月に開渠を迎えた。が、漏水が激しく使い物にならなかったそうである。改修後、実際にドックとして使用できるようになったのは明治 36 年 (1903 年) のことであった。大きさは長さ 174.4m、幅 30.3m、深さ 11.8m であり、今年で 104 歳になる上寿のドックである。
写真 1 と写真 2 は、最近になって佐世保市の水道局で発見された第一船渠建造中の貴重な写真である。この写真を見ると、まず土を掘りそこに石を一つ一つ積み上げてドックの壁を造っていく石積み工法である。石壁の厚さは上部で約 2m、最深部では約 6.7m ほどある。
現在では大型構造物を造る場合、ブルドーザーやパワーショベルなどの建設用重機械が大量に投入されるであろうが、この当時はそんな便利なものはないので、人力による荷物運搬や石の積み上げで造りあげられた。現代とは比較にならないほど過酷な肉体労働を強いられたであろう。写真 1 と写真 2 を拡大してよく見てみると、渠底にレールが敷かれておりその上の台車を人力 (一人または二人) で押している様子がわかる。ヘルメットをかぶっている人は一人も見当たらず、麦わら帽子または鉢巻のような物をかぶっている。安全面への配慮はあまりなかったのだろう。起工から実際の使用開始までに 10 年間、暑さ寒さをしのぎながら作業を行う事は非常に大変だったであろう。冷房もない、重機械もないこの時代に、もし自分がタイムスリップして働かされたら、すぐに過労死するか逃げ出してしまうだろう。
「第一船渠」は呼称は変わったものの 100 年以上経った今でも当時の面影を数多く残したまま、修繕船用のドックとして使用されている。普段なにげなく使用している施設や設備ではあるが、たった 2 枚の写真を見ただけでも先人の苦労や当時の技術の素晴らしさを垣間見ることができた。100 年もの長きにわたり使用されているドックの事を思うと先代の方々に対して尊敬の念を抱かずにはいられない。今までは正直おんぼろだなと思っていたし、ドックがどのようにして建造されたのか造船所で働いていながら全く知らなかったが、今回第一船渠の写真に出会う事によって愛着がわいてきて、大先輩であるこのドックが今後も活躍を続け、自分らの卒業後もずっと残っていてほしいと思う。
中嶋裕治
佐世保重工業(株) 造船設計部 電装設計課 電気設計 |
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大久保貴史
佐世保重工業(株) 造船設計部 機関設計課 機関設計 |