彼方まで続く防塁後 [拡大画像] |
九州大学伊都キャンパスが置かれている糸島半島は、地理的に中国大陸や朝鮮半島に近く古くから栄えていました。あの魏志倭人伝にも登場する伊都国が存在した場所と言われ、多くの古墳や遺跡が発見されています。実際にキャンパス内からも多くの前方後円墳や円墳が見つかり、さらに旧石器時代・縄文時代の石器・土器、古墳時代の副葬品・鍛冶屋道具・製鉄関係の遺物、奈良・平安時代の平瓦・墨書土器・木簡なども見つかっています。
特に大寶元年(701年)と記された木簡は大宝律令の制定された年のもので、日本最古の元号木簡とされています。また、鎌倉時代の蒙古来襲に備えるための元寇防塁の跡も見ることができます。それでは、糸島の歴史を知るために伊都キャンパス周辺の主な遺跡を紹介したいと思います。
ここは国指定史跡となっている場所で、とりわけ弥生時代後期の伊都国の王の墓とされている平原遺跡からは直径が46.5cmの世界最大直径の銅鏡である内行花文鏡が見つかり、2006年に国宝に指定されています。また、ここからは合計で40枚ほどの銅鏡が発見され、これは一つの墓から発見された銅鏡の数としては日本一です。これらの銅鏡は、前原市の伊都国歴史博物館で展示されています。曽根遺跡群にはその他に3基の古墳が含まれます。
ここには三雲南小路(みなみしょうじ)遺跡と井原鑓溝(いはらやりみぞ)遺跡という伊都国の王の墓が見られ、巨大な甕棺(かめかん)や多くの銅鏡、勾玉などの副葬品が出土しています。その他にも2基の古墳が見られます。
ここは九大伊都キャンパスの移転用地内にあった遺跡で、先に紹介した日本最古の木簡も見つかっています。旧石器時代から平安時代までのものが出土し、大規模な製鉄炉跡も発見され、日本最大級のものとなっています。
復原された元寇防塁 [拡大画像] |
鎌倉時代に元の襲来(文永の役)があり、元の再度の襲来に備えて作られた防塁です。博多湾に沿って、約20kmにわたり作られていたと言われています。大学の近くでは今津と今宿の防塁を見ることができます。今宿のものは土の盛り上がりがあるだけですが、今津のものは200mにわたり復元されていて、はっきりと石の防塁を見ることができます。石は高さ3m近くまで積まれ、今津では3kmにわたり防塁が築かれていたそうです。
津村秀一 九州大学工学部地球環境工学科船舶海洋システム工学コース4年 船舶海洋システム工学 |