![]() 改造工事で入渠中の本船 [拡大画像] |
HTB (ハウステンボス) クルーズ社が今春から長崎と上海を結ぶ客船を就航させます。その名も「OCEAN ROSE」。初夏に100万本のバラが咲き誇るハウステンボス園内のイメージから名付けられました。この客船の改装工事を弊社が担いました。今回はその「OCEAN ROSE」についてご紹介します。
「OCEAN ROSE」は1991年に石川島播磨重工 (現IHI) で竣工し、新日本海フェリーの「フェリーらべんだあ」として、舞鶴〜小樽間の日本海長距離航路に就航していました。竣工当時はトン数、全長で日本最大のカーフェリーでした。
その後2004年にギリシャのフェリー船社アグディモス・ラインが購入し、ギリシャ〜イタリア航路で活躍していましたが、2011年にHTBクルーズ社が購入し、日本に戻ってくることになりました。竣工から20年経っていますので、そろそろ引退してもいい時期かもしれませんが、全面的なリニューアルを行って、まだまだ現役を貫く予定です。
江戸時代の鎖国中にあって長崎は、幕府が西洋、中国向けに唯一公認した国際貿易港として栄えたことでよく知られています。
1923年には、日本郵船の貨客船「長崎丸」が、翌年には姉妹船「上海丸」が就航し、長崎〜上海航路を約26時間で結んでいました。「下駄を履いて上海へ」と言われるほど、市民にとって上海は身近な存在でした。また、国にとっても物流の一翼を担う重要な航路でした。しかし、1942年、長崎丸が長崎港外で浮遊機雷に触れ沈没、その翌年には上海丸も揚子江の河口で輸送船と衝突して沈没してしまいました。上海航路はこのような悲劇的な形で一旦は幕を閉じました。その後1994年、半世紀ぶりに一度は復活したものの、その3年後には運航停止となってし まいました。
![]() イメージチェンジを果たした外観 (九十九島) [拡大画像] |
「OCEAN ROSE」の就航は、そのようにして途絶えていた長崎〜上海航路が14年ぶりに定期航路として復活することを意味します。また、長崎県にも歴史的にゆかりがある辛亥革命から100周年 (2011年)、日中国交回復40周年 (2012年) といった両国間の周年記念の節目でもあります。さらに「日中友好と地域の経済活性化」の二つの役割を担うことも期待されています。
「OCEAN ROSE」のコンセプトは「ローコストのエンターテインメントシップ」です。ゲーム、ショッピング、ショーを楽しみながら、上海までの約22時間、手軽かつリーズナブルな価格で時間に追われない船旅が楽しめます。
本船はもともとカーフェリーでしたが、今回のリニューアル工事で本格的なクルーズ客船に生まれ変わりました。弊社が担った工事は、第一期と第二期の二度に分けて行われました。
![]() イメージチェンジを果たした外観 (日中両国のシンボルフラワー) [拡大画像] |
![]() 赤を基調としたポップな内装の客室 [拡大画像] |
第一期工事では、主に外板、甲板の塗装工事を行いました。真っ白な船体に、様々なお化粧を施しました。写真のように、九十九島 (西海国立公園) の雄大で美しい景色、そして日中友好の架け橋をイメージして、両国のシンボルフラワーである桜と菊が描かれています。竣工から20年経った今、自慢の外観にイメージチェンジを果たしました。
第二期工事では、船殻工事を行いました。不要になった長さ160メートルの車両甲板区画をイベントホール、アミューズメントゾーン、ショピングゾーン、500席のリクライニングシートを有する客室の4つの区画に分ける工事を行い、乗る人を飽きさせない充実のエンターテインメントシップへと変身させる準備を整えました。
他にも客室の内装は、写真のように赤を基調としたポップな造りに仕上がっており、まさに刺激的な客室になっています。リーズナブルな価格が魅力的なリクライニングシートの客室もいいですが、ここでは贅沢なプライベート空間を満喫できます。また、この他にもスイートルームや木目調のシックな客室といった一味違ったコンセプトの客室も用意されており、楽しみ方も様々です。
最後に内装のリニューアル工事を行いました。この工事に関しては上海の造船所が担うことになり、エンターテインメントシップへの仕上げ作業を行いました。
秋の風物詩長崎くんち、冬は長崎ランタンフェスティバル、そして中華街など中国文化の影響を強く受けている長崎と、人口2300万人の中国一の大都市上海を結ぶこの船。実にロマン溢れる船ではありませんか。皆様もぜひ上海までのリーズナブルで豪華な船旅を満喫してみてはいかがでしょうか。
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山本隆史 佐世保重工業(株)基本設計部基本計画課 推進性能 |
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