榛名 解体の様子 (1946.4〜5)-1 [拡大画像] |
榛名 解体の様子 (1946.4〜5)-2 [拡大画像] |
榛名 解体の様子 (1946.4〜5)-3 [拡大画像] |
呉 史料館 パンフレット [拡大画像] |
弊社呉事業所の成り立ちは、明治22年鎮守府の設立から始まり当時の造船技術の粋を極めた海軍工廠、終戦後の播磨造船呉船渠、呉造船、石川島播磨重工業、IHIMU、そして本年1月からJMUと多岐に渡って現在に至っている。
歴史ある企業でありながら史料館がないことを言い続けていたら2009年8月にIHIMU社長 (当時) から史料館設立の事務局をやってくれないか?と打診があった。軽い気持ちで引き受けたが、やり始めると中々思うように進まない。知識も中途半端、文章も上手く書けない。本業の設計作業もある。6か月は時間だけが過ぎてゆき焦りが出てきた。ふっと、この仕事は、自分の思うとおりに作ればよいのだと開き直り、部屋の塗装色、絨毯の色、照明の配色、すべてのことを自分で決めていった。当時の本業は、計算である。計算の仕事は、船の始まりから終わりの重査、運転までを紆余曲折があっても纏め上げなければならない。身についた大局観を発揮し2010年10月工場祭に合わせた開館に間に合わせることが出来た。今となれば結構大変だったけれども誉に思っている。
JMUになった今となってみると館名「呉史料館」は、舞鶴史料館、横浜史料館と並びそれなりの響きが出てきた。展示内容物は、しおりに紹介しているとおりである。戦艦大和の史料に関しては、その多くが秘密漏えいを恐れて焼却処分されており、展示物は数少ない。
右の写真は、終戦後呉湾に沈んだ戦艦「榛名」のサルベージ作業である。このようなサルベージ作業の写真を見て、漂う軽油の臭いや、握りしめた手すりが油でねっとり滑りやすい状況を五感で感じる人達が少なくなっている昨今、史料や歴史を通じて、ものづくりの原点、技術とは何か?を少しでも理解していただければ意義深いことである。
あいにく呉史料館は一般公開しておりませんが、何かの機会で弊社にご来臨の際にはパンフレットに記載の問合せ先にご予約いただければ見学できるよう手配致します。
市川隆治 ジャパン マリンユナイテッド(株)呉事業所管理部総務グループ 船舶計算、環境管理 (ISO14001) |