「発祥の町伊勢」。伊勢神宮で有名な三重県伊勢市を歩いていると、こんなフレーズをよく目にします。調べてみると伊勢市発祥の物が多い事に気づきます。伊勢神宮の唯一神明造に見られる和風建築の発祥をはじめとして暦、旅行業、紙、海水浴場、銭湯、国道、有料道路、産業博物館など伊勢発祥のものは多岐に渡ります。
そんな発祥シリーズの一つに伊勢市は木造船建造の発祥の地という事があげられます。市内を流れる宮川上流に杉及び檜等の造船用材に適した森林を豊富に有する大台ヶ原山系をひかえていた点、宮川の水利を生かして筏を組み造船用材の搬出を行う事が容易であった点などの立地条件に恵まれて、全国有数の木造船建造地帯として発展してきました。
伊勢で木造船が発祥した歴史を振り返ってみるとその歴史が大変古い事がわかります。 神功皇后新羅遠征の時に大船数隻を建造したという伝説をはじめとし、平安末期の源平の合戦から建武の中興、織田、豊臣、徳川時代にかけて数多くの軍船を建造していたという事が古文書から明らかになっています。中でも豊臣秀吉の朝鮮出兵の時建造された「日本丸」は全長111尺(33.6m)、全幅39尺(12m)、大砲3 門を備えた巨船でありました。
このように伊勢では古くから多くの船が造船所の船大工によって作られてきました。そのように長い歴史を持つ伊勢の造船所の中で現存する最も歴史ある造船所こそが今回取材させていただいた出口造船所です(写真1)。
創業は天保元年(1850年)という大変長い歴史を持つ造船所であり江戸時代より木造船の建造を通じ長い間地域社会の発展に貢献してきた伝統ある造船所です。
現在の従業員数は10名であり60総トンの船台を用い遊魚船、フィッシングクルーザーをはじめとし、浮き橋船やろ過装置なども製作している造船所です。特にFRP(Fiber Reinforced Plastics繊維強化プラスチック)技術においてはパイオニア的存在であり日本の造船業界の一角を担っている造船所です。
今回の取材では現在専務取締役として出口造船所における設計開発などを一貫して行っておられる出口明さんに工場内及び建造中のフィッシングクルーザーを案内していただき、フィッシングクルーザー開発や出口造船所に関する様々なエピソードについてお話しを伺いました。
工場見学の前に出口さんから会社の沿革および製品について説明していただきました。出口造船所は天保元年創業以来160余年の間伊勢の地において伊勢湾、三河湾、熊野、和歌山地方を市場として一貫して地域密着型の木造船建造を行ってきた造船所です。天保元年といえば江戸時代、武士の時代より続く造船所に当時の町並を想像し歴史の深さを感じました。
昭和8年(1933年)大阪方面に市場を移し沿海及び近海航路の大型木造船の建造に移行して業績をあげると共に愛知県より庄内川埋め立て工事に関する浚渫船、タグボート土運船の建造業者として指名を受け実績を積んでいました、しかし第二次世界大戦には戦争の長期化により地域造船業者の企業合同を行い、有限会社伊勢造船所を設立したそうです。第一次75トン戦時標準型貨物船試作船全国第一船を進水し、引き続き、100トン、150トンと順次大型化と共に量産を行っていきました。
昭和20年(1945年)、終戦により有限会社伊勢造船所を解散,出口造船所を復元して20トンより100トンクラスの漁船、貨物船、旅客船の建造を続けていましたが、造船用木材の不足による船価の高騰や小型鋼船の技術の進歩により、木造船建造を続ける事が困難になってきたそうです。そこでFRP素材に着眼し、硝子会社と共同で研究開発を行いFRP船開発を行いました。
長い年月と苦労を経て開発したFRP船ですが、はじめ板の薄いFRP船は船主さん達にとって抵抗があったようでなかなか売れなかったそうです。そこで1〜2年試用してもらい、良かったら買ってもらう、という方法をとったそうです。
その結果、昭和38年には実用FRP船として一般に認められるに至りました。以来、順次増産し昭和40年より量産を行い、全国の中小造船業界の注目するところとなったそうです。利益ではなく、はじめに信用を売る、それによって最終的には利益を得る。この信用を売るという概念がこんなにも昔に行われていた事に僕は関心してしまいました。
昭和46年、大型化と船種の多様化に対応すべく、有限会社出口造船所に組織替えを行い、設備の近代化を行いながら、現在までに1,500隻ほどの建造実績をあげているとの事です。又、この間にも中近東、東南アジア等に輸出して、構造不況と言われた時代を乗り切り、着実に業績を上げました。そして現在、新しい高性能船型の研究、開発に努力するとともにFRP素材の特徴をいかした海陸両方での新製品創りに挑戦している会社です。
はじめに木材を加工する工場を紹介していただきました、その工場の一角に作りかけの木造船の姿がありました(写真2)。
現在でも木造船が作られている事に驚きました。近年は木造船の建造に変わりFRP船の建造を主として行っていました、しかし森で無駄になっている間伐材を有効利用できないかと考え海上技術安全研究所と共同で木造船の建造を始めたそうです。
木造船の長さは約3m、主な用途としては奈良県吉野周辺の湖などでのバス釣り船を想定しているそうです。この木造船建造にあたっては環境面、性能面の大きく2点のメリットがあげられます。環境面では素材となる間伐材の調達は吉野の山奥などで問題となっている間伐材を使用するため、資源の有効活用といった観点があげられます。
性能面では木造船はアルミ船などに比べ重心位置が下がり乗り心地が安定すると語ってくれました。ここで木造船建造に関して技術的に苦労された点などをお聞きしたかったのですが出口さんは「昔建造していた技術があるから特に難しい点はなかった」とさらりと語ってくれました。その時はそれ以上のお話を聞けなかったのですが、後日違う方から木造船に関するお話を聞く機会を設けていただきました。
NPO法人神社みなとまち再生グループと出口造船所が共同して木造船の建造を行ったと聞き、実際 に建造船「みずき」(写真3)が就航している港へと向かいました。
そこで「みずき」の運行管理をされているNPO法人の方から木造船建造工程及び技術的な苦労をお聞きしました。
例えば木材の一枚の曲げ加工には、板を割らないように当て木をしつつ下から火であぶり、上から冷水をかけて固める工程を3時間かけて行うといった話を聞きました。これらの話をお聞きしながら木造船建造の大変さを感じると共に木造船作りで困った事はないとさらりと答えてくれた出口さん達のすごさを感じました。
次にFRP加工を行う建物を案内していただきました。そこではプールや温泉で使うFRP製のろ過機が置いてありました(写真4)。
昔は鉄で作っていたろ過機ですが塗装がはげやすいといった問題点から内部をFRPで覆う製品を開発したそうです。
プールの水などの電解液をいれると鉄との接合箇所を中心に腐食し、穴があいてしまいます。それを防ぐため接合箇所などを重点的に樹脂とガラス繊維を積層していく事が必要になってくるのですがその技術が大変難しいそうです。
基本的に鉄は強度用、FRPは防水、耐食用なのですが塩水などの酸性の強いものを扱う際にはFRPだけで作る事もあるそうです。このろ過機は20年ほど前から作っている製品で今までに1,000台以上作っているとお聞きしました。FRP船の建造で培った技術を転用し他のFRP製品においても実績をあげておられる点に大変びっくりしました。
FRP技術を他の製品に応用する秘密についてお聞きしたところ「色々な人と話 している時にアイデアが入ってきてね、その時に発想がでてくるかどうかが勝負なのですよ」と語ってくれました。異業種の人と積極的に話すのはビジネスチャンスを広げるという観点からもとても重要であると再認識させられました。
次に見せていただいたのはFRPの加工を行う型です(写真5)。
FRPでは型に積層を行い形状の作成をしていく方法なので曲げ加工により形状を作成していく鉄に比べ自由度が大きいそうです。またFRPは積層時の重量管理がとても難しいとのことです。予定していた樹脂量を超えると船体が重くなってしまい計画速度が出なくなってしまいます。
そこで樹脂量をきちんと管理し計画速度を確保する事が重要になってきます。出口造船所では積層作業をスプレーではなく直接手で行うハンドレイアップ式にて行う事により樹脂の量を正確に調整しているそうです。直接手で行う事により時間はかかってしまう方式ですが「船は一回作ったら10年20年乗るものだから妥協はしないよ」と品質にこだわっていた出口さんが印象的でした。
次はいよいよ船台です。船体の型(写真7)と並んで船台に乗っていたのは建造中の30tフィッシングクルーザーでした(写真6)。工場内に悠然とたっていた船は実に堂々としていて時が経つのも忘れ、しばらく見入ってしまいました。
このフィッシングクルーザーは波をたたかず、波を日本刀で切るような船型を目指して開発されたそうです。
今回の船主はオーストラリアの方ですが、日本の船は運転していて精神的、肉体的にも疲れにくいことから購入を決められたそうです。現在建造中の船も大変気に入ってもらい更に一隻の注文を受けそうとおっしゃっていました。
いい船を作っていたら認められ、さらに注文が来るものなのですね。
次に内装を見せていただきました。中を見て意外だったのがイスや扉などFRP製の内装品が多かっ た事です。
出口さんによればFRPとベニヤ板を組み合わせてイスなどを作る事で「軽さ」と「強さ」を達成できるのだそうです。例えば階段などもFRPでできているのですが(写真8)船体と一体化しているためにつぎ手がなく強度が強くなるとおっしゃっていました。
更に船の中を見学させていただくと、随所に軽量化の意識の高さを知る事ができました。
例えば軽いエンジンの選定を行う事はもちろんのこと、ネジの選定、配線の配置をも熟慮されるそうです。決められたレイアウトの中でいかに少ない配線で結ぶかといった事を電気屋さんと相談されるそうです。
「電気屋さんときちんと話さないと余った配線をクルクル巻いて隅のほうに置いとかれるからね。重量的にはまずいのだよ」とおっしゃっていました、僕ははじめその重要度がよくわかっていなかったのですが、電線は一船で500Kgもあるとお聞きして納得がいきました。船の設計の際は徹底して細かい部分まで軽量化を図っているのですね。
船の見学の最後に面白いものを見せていただきました。船室の天井に取り付けられた太陽電池で動くファンです。昼間太陽光を受けファンが回り船室が暑くなっても空気を交換し熱気、湿気をとってくれるというものです。これによって船室に入った時の“むあっ”といった感触がなくなるそうです。
また湿気をおびる船底ではビルジに水がたまり湿度が上昇するのですが、ここでファンをまわせば湿気がかなりとれるそうです。夏の自動車に乗る時に室内にたまった熱気に気分を悪くしている僕としては画期的なアイデアだなあと関心してしまいました。
出口造船所を更に詳しく知るため出口さんに色々な質問をさせていただきました。
今回の取材を通じ徹底した出口専務の「軽量化に対するこだわり」を感じました。そして出口専務の言葉で最後にいただいた言葉がとても印象的です。
「完璧を求めればより欠陥が見えてきて更に完璧を求めるようになる」
これは定量的なゴールがあるわけではなく、自分の中の理想形を追い続ける事が重要であるという事だと思います。これから修論、そして社会人生活と待っていますが現状に満足せず常に上を目指して頑張っていこうと思います。
最後になりましたが、今回の取材で有限会社出口造船所の出口専務には二日間にわたる取材にも懇切丁寧に答えていただき心より御礼を申し上げます。 また、このような機会を設けて下さった日本船舶海洋工学会および編集委員各位に深く感謝いたします。
加藤 丈英(かとう たけひで)
大阪府立大学大学院工学研究科機械系専攻
修士2 年
数値流体力学
(KANRIN (咸臨) 第3号 (2005年11月) 発行当時)