トップページ > シリーズ 港の横顔 > Vol.003 - 学会誌 KANRIN (咸臨) 第19号(2008年7月) より

シリーズ 港の横顔 函館港「本州と結んだ旧桟橋」


1. はじめに

函館港は北海道の南端に位置し、北海道と本州とを結ぶ津軽海峡に面していることから、北海道の玄関口として、古くから本州の商船などが入港していた港である。安政6年(1859年)に我が国初の外国貿易港として開港して以来、発展を続け、来年2009年には開港150周年を迎える。

開港後の明治期に本州から北海道に渡って来る人々が、初めて降り立つ地であった「旧桟橋」について紹介する。

2. 旧桟橋


函館港「旧桟橋」(東浜桟橋)

JR函館駅から徒歩15分程の函館市末広町近辺は、赤レンガ倉庫群を中心としたウォーターフロント地区となっており、市内有数の観光スポットとして観光客や市民に人気のある場所である。

商店や飲食店などで賑わう赤レンガ倉庫群から少し離れて、ウォーターフロントを西側にしばらく進むと、小さな桟橋がある。

橋名板には「東浜桟橋」と記されているが、市民の間では「旧桟橋」と呼ばれている。

3. 明治期の函館港


明治20年代初期の函館港(○が東浜待ち桟橋)

函館港には安政6年の開港以降、外航船の利用に加え、本州〜北海道間航路の発着点として、また北海道内諸港との連絡起点として多数の船舶が入出港するようになった。幕末から明治期における函館港は北海道におけるハブ港としての機能を持っていたのである。



明治初期の東浜町桟橋

当時、函館港には現在のように水深の深い岸壁などは無く、船舶は直接陸地に着くことが出来なかった。そのため、本船を沖に停泊させ、旅客は通船で本船と陸地との間を行き来し、桟橋や船揚場などに通船を着けて乗降するという利用がなされていた。


4. 桟橋の誕生

旧桟橋の架かる場所は海岸線沿いの道路として、慶応年間から明治3年頃にかけて埋立造成された土地の一部で、明治4年から函館港における唯一の旅客乗降場所として利用が開始されている。その後、木造桟橋が設置され、「東浜町(旧町名、現在は末広町の一部)桟橋」と呼ばれた。当時の桟橋は大きさが、長さ五間、幅二間(9.1m×3.6m)と記録されており、写真を見ても、これといった特徴のない、ちっぽけな桟橋であるが、その役割には重要なものがあった。

明治42年の統計では、函館港の旅客利用者は入出港合計年間46万人(内、本州との間で26万人)であるが、そのほとんどが東浜町桟橋を利用していたようである。一日当たり千人以上が乗降していたことになる。また、本州から北海道に渡る人々の大半は青森港〜函館港間の青函航路を利用していたのであり、つまり本州からの移住者や旅行者が、はじめて北海道に上陸する場所が、この桟橋だったのである。

桟橋前の道路沿いには商店や旅館などが建ち並び、明治31年の調査では、桟橋のある東浜町の地価は函館で最高額の1坪当たり71円となっており、桟橋周辺は明治中期から昭和初期までは函館の中心市街地であった。

5. 青函連絡船の就航

本州〜北海道間の主要な交通路であった青函航路には明治6年から官・民による定期船が運航していたが、明治41年からは国鉄が青函航路に鉄道連絡船を就航させた。就航当初は沖泊まりで、旅客の乗降には主に東浜町桟橋を利用していたが、明治43年、函館駅に隣接した大型の桟橋が完成してからは、連絡船を直接桟橋に着けて旅客の乗降が可能となった。そのため、東浜町桟橋の利用者は半減し、この時以降、函館港の「桟橋」と言えば国鉄の連絡船桟橋を指すようになり、東浜町桟橋は「旧桟橋」と呼ばれるようになった。

なお、青函連絡船は青函トンネル開通により昭和63年に廃止された。現在、かつての連絡船桟橋跡には、旧青函連絡船「摩周丸」が係留保存され、記念館となっている。JR函館駅から徒歩3分程である。

6. その後の旧桟橋


連絡船桟橋跡と「摩周丸」

「旧」桟橋となった後も、青函航路以外の旅客や船員は引き続き利用していた。特に大正から昭和戦前期にかけての函館港は北洋漁業の基地港として栄え、露領の漁場や工場へと行き来する人々の乗降で旧桟橋周辺は大変な賑わいを見せていたという。

旧桟橋は昭和4年に北海道庁から函館市に移管された際、正式名称を「東浜桟橋」に改められたが、その後も「旧桟橋」と呼ばれ続けた。

戦後は旧桟橋の利用も減少し、函館港に大水深の岸壁が次々と整備された昭和40年代以降には通船の必要も無くなり、旧桟橋は役目を終えている。現在の旧桟橋は函館観光コースの一部となっており、多くの観光客が訪れている。

現存する旧桟橋は昭和34年に架け替えられたもので、明治以来の木造桟橋ではなく、コンクリートおよび鋼製である。これまでに旧桟橋は何度か架け替えられており、記録が残っている分だけで数えても、この時が3回目の架け替えになる。その後、昭和55年に一部改修された際、明治時代の照明施設である「点灯台」のデザインを模した電灯が設置されたが、平成3年にライオンズクラブ国際協会より寄贈されたガス灯に交換されている。ガス灯の光に照らされた旧桟橋の夜景は美しく、写真撮影には絶好の名所となっている。

7. 北海道第一歩の地碑


北海道第一歩の地碑

旧桟橋の傍らに大きな熊と碇の形をした「北海道第一歩の地碑」という記念碑がある。明治維新後、北海道に渡った人々が第一歩を印した地であることを示したもので、昭和43年に日本中央競馬会の寄贈により建てられた。碑文には「明治百年を迎えるに当り 此地に記念碑をたてて 開拓に渡道した先人の足跡をしのぶ」とある。


遠田諭(とおだ さとす)

函館市港湾空港部港湾課
主任技師
港湾計画
(KANRIN (咸臨) 第19号 (2008年7月) 発行当時)

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