トップページ > シリーズ 港の横顔 > Vol.008 - 学会誌 KANRIN (咸臨) 第23号(2009年3月)より

シリーズ 港の横顔 Vol.008 舞鶴港「日本海の玄関口」


1. 風光明媚な港

舞鶴港は本州がほぼ中央部で屈曲して、日本海が湖のように深く入り込んで出来た港です。平均水深20m、湾の出入り口が約700mと小さく、干満の差が最大でも30cmと極めて小さく、四方を400m級の山々に囲まれているため強風・荒天を避けることができる平穏な海域です。船の荷役、停泊、接岸に好都合なほか、プランクトンも豊富で天然の良港として知られており理想的な港です。


舞鶴港の全景(写真提供:国土交通省舞鶴港湾事務所)

また、舞鶴港の景観が近畿百景第1位に選ばれるなど、風光明媚な港としても知られています。真上から見ると、鶴が羽を広げたように海が深く陸側に入り込んでいる舞鶴港は「西港」「東港」からなります。その左の翼にあたる港が西港、反対側が東港です。

今では、両港は近畿北部の港湾流通の拠点として整備が進み、日本海側の玄関口として重要な役割を果たしていますが、それぞれ時代と共に様々な顔を見せてきました。今回は歩んできた歴史の異なる「西港」と「東港」について簡単に紹介させていただきます。

2. 鶴が舞う‘西港’

西港を含めた舞鶴西地区は戦国時代、織田信長の命により丹後を平定した細川藤孝(後の幽斎)、忠興(細川ガラシャの夫)が築城した田辺城の城下町として栄えました。舞鶴の経済、商業、交易活動はこのエリアから始まったと言えます。戦国時代の城の造りは山城が常識でしたが、田辺城は守りに海を取り入れて堀をめぐらす輪郭式の平城で、舞鶴の地形を活かして、東西は川、南は湿地、北は海に接した悪害の地に築かれていました。その姿があたかも鶴が翼を拡げて舞っているような優美な姿であったことから「舞鶴城(ぶかくじょう)」とも呼ばれ、それから舞鶴という地名になったという説もあります。


田辺城跡城門(写真提供:舞鶴市)

江戸時代には京都、大阪、神戸といった大都市に物資を供給する西廻り航路の寄港地としてにぎわい、明治以降は近畿エリアの日本海側の玄関口として重要な商港となり、中国などとの対岸貿易を展開していきました。

明治維新後、田辺城は廃城となり取り壊されたため、当時の田辺城をしのぶものはわずかに残る石垣だけですが、市街地には城下町の風情を感じさせる古い街並みが今でも保存されています。

3. おふくろの味発祥の地!?‘東港’


赤煉瓦倉庫群(写真提供:舞鶴市)

東港の開発は比較的新しく、1901年(明治34年)に日本海側の守りとして旧海軍鎮守府が設置されたのを機に海軍港として栄えました。それまでは小さな村でしかなかったこの地は、以後一挙に、鉄道、道路、水道など近代的なインフラが整備され、倉庫をはじめとして、トンネル、橋梁など多種多様な煉瓦造りの構造物が建築されることになります。それらの数多くが現在も残っており、中でも、舞鶴市役所がある北吸地区一帯に立ち並び舞鶴港の一角を赤く染め上げる赤煉瓦倉庫群は近代化遺産として有名で、多くの映画のロケが行われたりもしています。それ以外にも、さまざまなレトロな施設が点在しており、ロマンティックな街並みが続いています。

実はこの舞鶴、日本ではポピュラーなおふくろの味「肉じゃが」の発祥の地という説もあります。舞鶴鎮守府初代長官として赴任していた東郷平八郎。彼が青年期に英国へ7年間留学していた際、食べたビーフシチューの味が忘れられず、料理長に命じて作らせたのですが、当時の日本には調味料としてワインやバター等がなかったため、醤油、砂糖、ごま油で味付けして作ったのが「肉じゃが」とか。

その後、大正時代後半に、一旦、鎮守府が廃止されてからは、貿易港へと積極的に転換されていくことになります。

4. 現在の西港・東港


引揚桟橋(写真提供:舞鶴市)

それぞれの歴史を歩んできた西港と東港は、第二次世界大戦後、1945年(昭和20年)から13年間にわたっては戦後の引揚港としての顔を持つようになります。大戦後、海外に残された日本人は600万人以上といわれ、短期間に一斉に帰国しなければならなくなり、舞鶴港は引揚港の1 つに指定され、国家事業として引揚者の受け入れが始まります。旧満州(現中国東北部)や旧ソ連・シベリアなどから約66万人が舞鶴港に引き上げてきたこの港は、日本への玄関としての役割を果たしました。

いまだ帰らぬわが子を待ちわびる母の姿を歌った「岩壁の母」は多くの人の涙を誘い、悲喜こもごものドラマの舞台にもなりました。

その間に、舞鶴港は貿易港として再出発し、近畿地方日本海側では国が指定した唯一の重要港湾となりました。近畿北部の港湾流通の拠点として整備が進み、西港は中国、韓国、ロシアなどへの定期航路をもつ対岸貿易を中心とした国際貿易港、東港は近畿圏と北海道を結ぶ長距離フェリーを中心とした国内貿易港として、新たな機能分担のもとに発展し続けています。


和田埠頭(仮称)(写真提供:舞鶴市)

現在行われている日本海側で最大級のコンテナターミナルを備えた多目的国際ターミナル(仮称「和田埠頭」)の建設もほぼ完成し、五万トン級の大型コンテナ船が接岸できる岸壁と、これに伴い阪神経済圏へアクセスする臨港道路の整備も進んでいます。



古池 健太(こいけけんた)

(株)サノヤス・ヒシノ明昌 船舶設計部基本設計課
主任
船型設計
(KANRIN (咸臨) 第24号 (2009年5月) 発行当時)

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