トップページ > シリーズ 港の横顔 > Vol.009 - 学会誌 KANRIN (咸臨) 第25号(2009年7月)より

シリーズ 港の横顔 Vol.009 相馬港・松川浦漁港   盆唄、潮干狩りと慰霊碑


1. 相馬盆唄にいざなわれて

福島県相馬郡相馬市は全国的に知られる相馬盆唄発祥の地である。その相馬盆唄が太平洋、ハワイ州で日系移民により歌い継がれていることはあまり知られていない。縁があり、ハワイ州の相馬盆唄のルーツを探る歌追いの旅に同行した。ラニーニャとインド洋ダイポールが同時に発生し、日本列島が猛暑に襲われた2007年の夏である。

日本百景に数えられる松川浦県立自然公園に面した尾浜を拠点に、周辺地域に足を運んだ。松川浦は福島県唯一の潟湖であり、江戸時代からの名勝である。浦を囲む名勝は、「松川浦十二景の和歌」に詠われた。相馬盆唄に誘われてやってきたこの風光明媚な地の旅には、思いもかけぬ出会いが待っている。

2. 相馬港・松川浦漁港

福島県相馬郡は、江戸時代は相馬中村藩と呼ばれ、松川浦は藩のリゾート地であった。


図1 相馬港、松川浦漁港など、衛星画像・地図


写真1 尾浜の炭火焼が潮干狩り客をもてなす

松川浦(図1)の北に位置する相馬港は、古くは米・塩の積み出しや漁港として使用された。近年は、整備が進み、1960年に地方港湾、1974年に重要港湾、そして、1981年にエネルギー港湾の指定を受け、現在、年間入航船舶総トン数は400万トン、内航・外航船合わせて300隻程度である。輸入が85%程度を占め(主に石炭)、セメント、重油、鋼材などを移入している。輸移出は石炭灰、貨物自動車などが主である。その相馬港から原釜尾浜海水浴場を挟んで、松川浦新漁港がある。豊かな金華山沖の漁場に近いため、潟湖内の松川浦港と外海の新港とあわせ、漁獲量・漁獲高は県内一を誇る。蛸、カレイ、ホッキ貝、イカナゴなどの陸揚量は全国的にも高い。沖合漁業(沖合底引き網)、沿岸漁業(船曳網や刺し網、かご等)と浦内の海面養殖業(のり養殖等)が主である。夏場は水揚げされた魚の炭火焼を行う店が並ぶ(写真1)。

3. 松川浦


写真2 松川浦の潮干狩り

南北5km、東西1km程の松川浦は、その北端部が約80mほどの水路となって太平洋に繋がる。河川水と海水が混ざる汽水湖であるが、非常に浅く、干潮時には海水量が半減する。そのため、水路は狭いが、効率よく海水交換が行われる。浦内では、海苔の養殖が盛んだが、アサリやカキなど二枚貝も多く、夏はアサリの潮干狩りでにぎわう(写真2)。海草・海藻(アオサ)と二枚貝(アサリ)は閉鎖海域の水質浄化には必須であろう。河口を堰きとめた砂州には、現在防潮・防風のために黒松が並び美しいが、その黒松に散布した松くい虫防除のための薬品のせいか、松川浦の魚が減ったと地元の方から聞いた。小さな潟湖である松川浦に、地球規模で起こっている環境問題の縮図を見る。

4. 鵜ノ尾埼灯台・へりおす慰霊碑


写真3 鵜ノ尾埼灯台

松川浦を太平洋から隔てる砂洲は磯辺地区と呼ばれ、全長520mの松川浦大橋が尾浜地区と磯辺地区をつなぐ。橋を渡ると鵜の尾の丘陵の断崖が前方に迫り、鵜の尾岬トンネルを抜けると、太平洋と松川浦そして大洲海岸と、小松島とも呼ばれる松川浦の絶景を一望にする。鵜の尾の丘陵には、1953年に初点灯された鵜の尾埼灯台がある。夕顔観音参道を登り、林の小道を抜けると、木々に縁取りされた青空に白い灯台が浮かび上がる(写真3)。灯塔高は15m、灯火は標高40mに位置する無人灯台である。灯台近くからは、相馬港、そして、青緑の太平洋の景観が広がる。親潮水と黒潮水が混合するこのあたりの海域は、栄養素に冨む豊かな漁場として知られる。


写真4 ヘリオス慰霊塔

その太平洋を背に、ヘリオス慰霊碑がひっそりと建っていた(写真4)。ギリシャ神話の太陽神であるヘリオスを慰霊する碑という不思議な取り合わせに興味を持ち、寄り道をした。そして、思いもかけぬ事実を知ることになる。大人の背丈を越える巨大な石碑にはめ込まれた黒御影石タイルには「海洋調査船ヘリオス乗員の碑」と記されていた。

石碑の土台には船長ら9名の乗員名、歌碑には「再びも三たびも生れよ海洋の熱き抱負を遂げむ為に」と刻まれていた。ヘリオスはわが国初の民間海洋調査船であり、1986年6月に相馬沖で消息を絶ったことが石碑の裏面に記されている。そして、遺族たちの執念をもって水深240mの深海からの引き上げに成功し、造船ミスによる復原性の欠如が事故原因であることを立証しえたと結論付けている。引き上げの経緯は、遺族が出版した書籍にも詳しい。しかし、海難審判庁は、針路選定の誤り、開放された扉等からの浸水による操舵不能、横方向からの波浪の打込みを受けて横転と、異なる原因を報告している。

ここに海難事故の抱える問題点が浮き彫りになる。まず、直接の転覆原因究明には船体の検証が最も有効であること、次に波浪・風などの自然要因の高い推定精度が求められること、そして、誤操作など人為的な要因は、生存者がいない場合推定する以外にないことである。どれも必須で、ヘリオス遭難事件では、船体の引き上げにこだわった遺族の執念が、事故原因解明に大きく貢献したのは間違いない。

5. おわりに

フリーク波という外洋に突発的に現れる大きな波が科学的に究明され、新聞等でも海難事故が起こるたびに「三角波」との遭遇が叫ばれる。しかし、充分な調査を経ずして事故原因を特定することで、事故調査を阻害するようなことがあってはならないと強く感じる。それが盆唄にいざなわれて過ごした相馬市で出会った、ヘリオス遭難事件の教訓である。



早稲田卓爾(わせだ たくじ)

東京大学大学院新領域創成科学研究
海洋技術環境学専攻
准教授
海洋流体(波浪、海流など) (KANRIN (咸臨) 第25号 (2009年7月) 発行当時)

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