トップページ > シリーズ 港の横顔 > Vol.010 - 学会誌 KANRIN (咸臨) 第25号(2009年9月)より

シリーズ 港の横顔 Vol.010 呉港「海軍のまちが見える呉中央桟橋」


1. はじめに


灰ケ峰から望む現在の呉港(↓が中央桟橋)

広島県呉市の呉港は、瀬戸内海中央の西芸予諸島北部に位置する。現在は重要港湾に指定されている呉港だが、明治維新までは半農半漁の村々と、海辺に物流拠点がある程度だった。それが明治19(1886)年、第二海軍区鎮守府の設置決定を契機に、軍港として飛躍的に発展し、日本最大級の呉海軍工廠が戦艦「大和」を建造するまでになった。戦後は臨海工場群を背景に、工業港、内海交通の要衝として重要な役割を果たす。その呉港の玄関口が呉中央桟橋ターミナルである。本稿では、中央桟橋を起点に見えてくる「海軍のまち呉」について御紹介したい。

2. 賑わうウォーターフロント


呉の新観光スポット 左から、①てつのくじら館、
②大和ミュージアム、③中央桟橋(写真提供 本田登氏)

瀬戸内海沿岸に延びるJR呉線の呉駅から専用歩道を徒歩5分、中央桟橋ターミナルに到着する。このエリアは、アイ・エイチ・アイ マリンユナイテッド呉工場内にある「大和」建造ドック跡を見渡すように、1/10「大和」展示の大和ミュージアム、日本初の実物潜水艦陸上展示をする海上自衛隊呉史料館(てつのくじら館)などが建ち並び、「海軍のまち」を楽しむ一大観光スポットとして人気を博している。中央桟橋へも海路、多くの観光客が訪れている。

3. 海軍の桟橋


呉軍港略図(↓が第一上陸場) (昭和8年)

軍港時代、この一帯は海軍用地として一般市民の立ち入りが制限され、市販の地図上は白抜きであった。当時、中央桟橋は「第一上陸場」と呼ばれ、直接陸地に接岸できない軍艦が連絡するための通船の発着場となっており、今とは異なる雰囲気の賑わいを見せていた。昭和8年当時の模様は、「一日何萬人の海兵が海から陸へ、陸から海へ汽艇、カツター、ボートで呑吐(どんと)されてゐる。朝夕の乗、退艦時間及、半舷上陸の海兵など整然たる雜閙(ざっとう)をくりかへしてゐる。艦隊入港時などは、第一波止場は全く戦場の如くごつたかへす」といった具合であった1)



呉軍港 第一上陸場

4. 「大和」乗組員最後の上陸場

映画「男たちの大和」には登場しなかったが、第一上陸場は、沖縄海上特攻の出撃準備命令をうけた「大和」乗組員最後の上陸場でもあった。当時の桟橋の様子を、戦艦「大和」副長・能村次郎海軍大佐はつぎのように記している2)。「桟橋は灯火管制下の暗さなので、顔も姿も定かでないが、別れを惜しむ家族や親しい知人でいっぱいの人。ふだんなら夜間一般の人はいれない海軍専用地域の上陸場、きっと衛門哨兵の厚意からなのだろう。『では行ってまいります』、『あとはよろしくお願いします』―若い元気な声がくらやみにこだまする、ありきたりの、聞きなれた言葉のやりとりではあるが、時が時だけに千万無量の思いがみなぎっていた。」

なかには、遠方から呼び寄せた家族が上陸時間に間に合わず、肩を落として帰艦する者、すれ違いで会えず仕舞いという者もあったという。旅立った者たちのほとんどが、帰らぬままとなったのは周知のとおりである。

5. 桟橋から見える歴史


中央桟橋から見えるアイ・エイチ・アイ
マリンユナイテッド呉工場での大型船建造風景

終戦後、桟橋には占領担当の英連邦軍兵士が上陸し、やがて時代の移り変わりとともに、四国、島嶼部、対岸の江田島との定期旅客便・フェリーを利用する人たちが行き来するようになり、いま、呉・江田島観光の旅行者が多く見られるようになった。 

中央桟橋ターミナル2階に上れば、「大和」の全長263mを凌ぐ大きさの大型船が次々と建造される光景を目にすることができる。時間に余裕があれば、呉〜江田島往復のクルーズで、造船所のほか、海上自衛隊の護衛艦や潜水艦も間近に見ることもできる。ここで目にするものは、「第一上陸場」を海軍士官や水兵が乗降していた戦艦「大和」の時代に必ずどこかで繋がっている。「海軍のまち呉」は形を変え、今日もなお息づいているのだ。

6. 新たな呉発見のスタート地点に

映画「海猿」のロケ地となった以外、やや地味な印象の中央桟橋は、単なる船着き場に見えてしまいがちである。しかしここも「海軍のまち呉」の歴史が展開された舞台のひとつであった。前出のエピソードを知って、いにしえの呉に思いを馳せるとき、眼前にひろがる呉港の情景から新たな発見ができるのではないだろうか。まずは中央桟橋を起点に、海路での呉港と周辺のスポット巡りをお薦めする次第である。


引用・参考文献

1) 『呉軍港案内 昭和九年版』(昭和8年12月)
2) 能村次郎『慟哭の海』(読売新聞社、昭和42年)



齋藤義朗(さいとう よしろう)

呉市産業部海事歴史科学館学芸課
学芸員(入船山記念館担当)
海事史、海軍史、デジタルアーカイブ論、ミュージアムマネジメント論
(KANRIN (咸臨) 第26号 (2009年9月) 発行当時)

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