トップページ > シリーズ 港の横顔 > Vol.011 - 学会誌 KANRIN (咸臨) 第27号(2009年11月)より

シリーズ 港の横顔 Vol.011 堺港「旧堺燈台と龍女神像」


1. はじめに

堺泉北港の一翼を担う堺港は、大変長い歴史をもつ港である。古来より天然の良港として栄え、中世の頃には世界各国と交流する貿易港に発展した。また、近代では海浜リゾート地として港周辺の地域がにぎわいを見せた時期もあった。その後、高度経済成長期には臨海工業地帯の発展に伴う埋立造成工事により、近代的な工業港として整備され、現在に至る。

この様な変遷を経て、港をはじめ周辺の様相も大きく移り変わってきたが、史跡や記念碑等、かつての港をしのばせるものは今でも数多く残っている。今回は、その中の代表的なものとして、この地が市民の憩いの場として最も親しまれ、活気に満ちていた明治から大正にかけての堺港を物語る、二つのシンボルについて紹介する。

2. 旧堺燈台


保存修理工事が完了した旧堺燈台

埋立造成工事以前の堺港である「堺旧港」と呼ばれる地区の突端に、ひっそりと立っている六角錐型の木造様式燈台が旧堺燈台である。明治10年(1877年)に建設され、昭和43年(1968年)に役目を終えるまで約1世紀もの間、大阪の海を照らし続けた。建設当時の場所に現存する木造様式燈台としては日本最古のもののひとつで、昭和47年(1972年)に国の史跡に指定されたほか、平成21年2月には、経済産業省が設置する産業遺産活用委員会で「近代化産業遺産群 続33」にも選ばれた。

建設にあたり、土台の石積みは備前国(現在の岡山県)出身の石工・継国真吉が、建設工事は堺在住の大工・大眉佐太郎が行い、そして灯部の点燈機械の取り付けは英国人技師ビグルストーンが携わったとされている。また、建設資金は市民の寄付と当時の堺県の補助金によりまかなわれたことも伝えられている。


市内各所に見られる旧堺燈台

廃燈後は老朽化が著しかったが、平成13年から平成19年にかけて行われた保存修理工事により明治時代の末頃の姿に復元された。燈篭部も当時の形のものに交換され、工事前に据えられていた燈篭部及び投光部レンズは堺市博物館に展示されている。

旧堺燈台は今なお堺市のシンボルとして愛されている。実物そっくりな公衆電話や時計台、マンホールのデザインから土産屋の和菓子に至るまで、様々な場所で旧堺燈台の姿を目にすることが出来る。また、近年では海の日の前後に燈台内部が一般公開されているほか、その一般公開日から秋頃にかけては夜間のライトアップも行われ、観光スポットとしても脚光を浴びつつある。

3. 龍女神像


「乙姫さん」の愛称で親しまれる龍女神像

堺旧港のもう一つのシンボルが北波止突堤の龍女神像である。像の高さ10m、台座の高さは16mと、かなり大きな像である。東洋と西洋の様相が織り交ざった雰囲気があり、まさに古くから国際港として栄えたこの港にふさわしい像といえる。港の内を向くように設置されており、停泊する船や港を訪れる人々、さらには港の奥に広がる堺のまちを見守っている。

実はこの龍女神像は二代目である。初代龍女神像は明治36年(1903年)に開催された第5回内国勧業博覧会の際に作られた。作者は、高村光雲とならび近代彫刻史上に名を留める竹内久一である。堺港の南に位置し、博覧会の第二会場となった大浜公園の水族館前に設置された。博覧会終了後も「乙姫さん」の愛称で市民から親しまれ、水族館を中心とした海浜リゾート地としてにぎわうこの地を見守り続けた。昭和に入り、臨海工業地帯の開発が進むとかつての海岸は次々と埋め立てられ、水族館も次第に集客数が減少し、昭和49年(1974年)、ついに水族館が廃館となるとこの像も共に撤去されることとなった。しかし、平成12年に市政110周年記念事業において現在の場所に復元され、平和と繁栄のシンボルとして再び蘇ることとなった。

龍女神像が立っている場所は、北波止緑地という小さな公園になっている。龍女神像の他は、龍がうねっているかの様な波打つオブジェや、石でできたベンチが並べてあるだけの、とても静かな公園である。この公園から像を間近に見ると、その存在感にただ圧倒されるばかりである。また、ベンチに腰を掛け、乙姫さんと一緒に港を眺めるのも一興である。

4. おわりに

今回紹介した旧堺灯台及び龍女神像が位置する堺旧港は、南海本線堺駅から西へ徒歩約十分のところにある。工業港としての機能は埋立造成工事後の新港に譲り、主にプレジャーボートの停泊地として利用されている。近年は明るい雰囲気のプロムナードが整備され、散歩をする人や写真撮影を楽しむ人、海風に当りながら景色を眺める人等、様々な人々が訪れるようになった。また、堺旧港を中心とした各種お祭り、イベントも定期的に開催されており、かつての様な市民の憩いの場所として、この地は再び活気付きつつある。



檜垣綱二(ひがき こうじ)

三菱重工業(株)
神戸造船所 潜水艦部艦艇設計課
(KANRIN (咸臨) 第27号 (2009年11月) 発行当時)

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