滝口久雄さん
ユニバーサル造船は、技術研究所とロボット製作部門を持つ、国内唯一の造船専業メーカーです。数多くの溶接ロボットが稼働していますが、本当に現場で使えるロボットにするためには、性能の良いロボットを研究開発・製作するのはもちろん、その段階でいかに現場のノウハウを取り入れるかが大切になります。今回は津に溶接ロボットを普及させた功労者、滝口久雄さんを紹介します。
滝口さんは、津造船所立ち上げ時の第1期生として、当時の日本鋼管に入社しました。2年後には溶接指導員、7年後には溶接班長に任命されており、若い時から頭角を現していました。造船不況の際は、電車やセミサブリグ、サウジアラビアの空港ターミナルの支柱など船と違った物件も担当しています。一般に、溶接職だと図面の一部が読めれば仕事をする上で支障はないのですが、好奇心が旺盛な性格で、これらの特殊な図面を家に持ち帰り毎晩遅くまで図面の隅々まで眺めていたそうで、配材職から図面について聞かれることもありました。また、改善意欲も人一倍で、空港ターミナルの支柱の自動溶接に関する実用新案も持っていたそうです。
平成6年、大組に溶接ロボットが設置されることになり、滝口さんはロボットの管理者に抜擢されました。初代ロボットはメーカーから購入したもので、事前にかなりの打合せをしたのですが、いざ現場で使ってみるとたくさんの問題点が出てきました。
ロボットには、メーカーで初期設定された動作データや溶接条件(電流・電圧・溶接速度など)が入力されていて、これで上手く溶接できる場合もあるのですが、上手くいかないものがほとんどでした。同じ溶接姿勢で同じ脚長の隅肉溶接をするにしても、現場では隙間があったり、歪みで変形していたり、仮止めした溶接ビードが大きかったり小さかったり、一つとして同じ状態の物はないのです。
このため、溶接はなんとかできても品質的には今ひとつで、次工程の作業者からは「ロボットなんか止めてくれ1溶接の手直しに余分な時間が掛かるだけや!」と何度も言われたそうです。
現場で満足できる溶接品質にするためには、溶接条件をすべて変更するしかありませんでした。現場のバラツキをある程度、寛容に受け入れられる溶接条件を探すことです。
多関節のロボットと言っても、人間に比べると動きはスムーズではありませんから、人間の動きを完全に再現することはできません。ロボットの動きのクセに合わせた、ロボット特有の溶接条件を探すことが必要となります。
溶接ロボット稼働中
「長年、手で溶接してきたイメージにどうやったら近づけられるのだろうか?」溶接条件を作って溶接させてみて、自分のイメージに合わないとデータ修正してまたやり直してみる。こんな作業を何度も何度も繰り返しました。
入力するデータを作るのも大変でした。溶接するにつれて、ロボットの腕の角度は刻々と変わっていきますので、場所によっては数ミリ進むごとに溶接条件が変わります。このピッチごとにデータを入力しますのでデータ量は膨大です。滝口さんは簡略化する工夫もしながら、自分でデータを入力しました。もともとパソコンが好きだったので、ロボットデータの中身を理解しながら、コツコツと自分でデータを作成することは苦でなかったようです。余談ですが、当時のロボットはNEC98ノートで動いていたのですが、これが生産中止になり、ロボット存亡の危機を迎えたことがありました。インターネットなどでかき集めた中古品を、滝口さんはロボット用にセットアップし、なんとか延命してくれたこともありました。
当時は約50名の溶接グループの代表班長でもあったので、工程調整や工数管理、安全管理も行わなければなりません。忙しい中、データ作成と実験を続け、とうとう文句を言われない溶接ビードを作り上げることができました。
その頃には、ロボットの動きを完全に熟知し、独自の溶接条件のデータベースを持っていたので、当初はロボットにはできないと思われていた部分にも適用範囲を拡げていきました。その結果、溶接ロボットはもうなくてはならない存在になっていました。
ロボット操作中の滝口さん
手塩にかけたロボットも稼働から10年が過ぎ、更新の時期がやってきました。
新ロボット開発プロジェクトが立ち上がり、滝口さんにも声が掛かりました。最初の会議で開発責任者から次のような言葉をかけらます。「滝口さんが思う通りのロボットを開発しましょう。」責任を感じると同時に、最高のロボットを作ろうと決意しました。
今回はユニバーサル造船製のロボットですから、ロボットの本体構造、データ構造、オペレータのインターフェース、作業の安全に関することまで、これまでのノウハウや改善要望をほとんどすべて反映することができました。その数は、なんと数百件にも上りました。
特に「後継者にはロボットのデータ修正をさせることはしたくない。」と思っていたので、溶接条件のデータベースの充実に力を入れました。例えば、隅肉溶接にギャップがあった場合、その量に応じてオペレータが数パターンの溶接条件から選択できるように工夫しましたし、曲線部も溶接できるようになりました。
1年半の開発期間が過ぎ、60歳の定年を迎える年の1月、新型ロボットが稼働しました。滝口さんは笑顔で言います。「これまで蓄えてきたノウハウや思いをすべて出し切って、本当に納得のいくロボットができた。研究所とロボット製作部門と事業所のチームワークが良かった。長い人生で一番充実して楽しい時期だった。」
現在も滝口さんは雇用延長制度によって在職されており、ロボットの管理を少しずつ若手に移管し、後継の育成に尽力されています。
今回の記事を書くにあたり、滝口さんに「経歴とか、ロボットで工夫したこととかを簡単にメモしておいてください。」と事前に頼んでいたのですが、打合せの時に見てびっくり。ビッシリ書かれた資料は、とても誌面では紹介しきれないぐらいですし、経歴には日付までもがキッチリ記入されていました。この級密さと正確さが、溶接ロボットをここまで育てたのだろうなと改めて感じました。
彼らのような大ベテランのノウハウを何とかして頭の中から引き出して後世に引き継ぐこと、私たちのとても大きな課題です。
大矢部直樹(おおやべなおき)
ユニバーサル造船(株)津事業所造船部
船殻技術室
チームリーダー
(KANRIN(咸臨)第20号(2008年9月)発行当時)