三菱重工業下関造船所のかっこいいオヤジ、船殻課外業係主任の彦坂 俊二(ひこさか しゅんじ)さんをご紹介します。
彦坂さんは昭和45年に当時の造船課に組立職として入社され、以来38年間、外業一筋で数々の職務を歴任されてこられました。船台組立職(船体決め方)で副作業長まで務めた後に、何故かクレーン玉掛職の作業長に抜擢されます。これを機に氏の遍歴が始まり、その後は安全指導員、工事担当者を経て最終的に搭載係長、外業係長として管理職を歴任、更に他社へも派遣され外業課長の要職までを務められました。当所へ戻られてからも中国への赴任等、活躍の場所を選ばないのは社会人としての鑑であり、「かっこいい」という言葉がピッタリあてはまります。
普段は穏やかな人柄の彦坂さん
その職歴は船台・ドック建造を問わず、搭載〜鉄工・溶接〜進水に至るまで幅広く、技術のことから足場関連を含めた安全知識に至る全ての見識を「実践主義」で獲得し、またそれらを「陣頭指揮」にて惜しみなく発揮してこられました。一瞬で周囲を掌握してしまうこの「陣頭指揮」能力は現場からの信頼を勝ち得る一番の近道ですが、我々学卒の管理者では到底かないません。氏の「陣頭指揮」は一つの職種に留まりません。上述の様々な経歴からすれば、一から始める事も多かったはずですが、どこに行っても「目上の人には負けない、この人を必ず抜く」という決意のもとに素直に新しい知識を吸収し、実践に展開し、経験を積み重ねてこられました。その結果、どの職種でも第一線で「陣頭指揮」を張れる事が可能であり、その姿がまたかっこいい・・です。
ここまでの記述のイメージから、さぞ豪快で畏怖感たっぷりの姿を想像してしまうでしょうが、氏の人柄は基本的に実直で、笑顔が似合う親近感たっぷりのお人柄です(もちろん猛者ぞろいの外業を厳しく抑えてきたこともあり、怒ればやっぱり怖い方ですが・・・)。氏曰く、誰もやってない事をやってこそ一番になれる、という事です。指示されて皆が出来そうにないと感じている中で、「何故出来ない?」、「やってやろう」と思える事が人の一歩前を歩いてきた理由なのでしょう、困難な作業をするのが大好きだそうです。
その逸話を挙げれば、組立職の頃から現図の応援に駆り出され、そこで現図の仕組みを習得。造船不況の折には造船外の会社へ出向、そこでは加工から溶接まで一人でこなす必要があり、工程も自分で考えるようになったそうです。そうやって当所へ戻られた折には、まだまだ精度を上げられるはずだから自工程だけでなく前工程も含めて改善を考えよう、精度が上がれば工程が短縮できて後工程が楽になる、そんな風に考えるようになったという話です。
今でも時折、腕前を披露されます
玉掛け職に移られてからは畑違いを埋める事から始まっても、その負けん気で他者に追いつき、そこからはやはり彦坂さん、それで留まらずに、作業長にしてブロック反転・搭載の吊ピース先行検討業務を取り込みました。当時は新設計による初番船の搭載要領決定が大きな課題であり、最終的には無駄が生じても現場でブロック形状を確認、そこで吊点(吊ピース位置)を決定する事も止む無い状況でした。これは能力の異なるジブクレーン三台による合吊りが日常化する当所の設備事情に起因しますが、各クレーンの竿先やワイヤの干渉、荷重の配分を事前に見極めるのは非常に困難です。氏は自らこの状況を変えていくべきと決意し、自分で模型を作り実際に糸をかけ、ピースの位置を自分の納得がいくまで検証し、図面化してこられました。「初番船からの図面化」、現在では当り前になっている事ですが、氏の先駆けとしての努力の蓄積が今も我々の財産となって生き続けています。そんな氏ですから当時は入院して現場を離れた時には入院先に図面が届けられたほどで、当時の上司の言葉にも「ブロックの重心が心配ならば彦坂に聞け」というのがあるくらいです。
また運搬車によるブロック運搬を行わない当所では、ブロックの置き場所管理は搭載作業長の役目になります。これも彦坂さんにかかればいつの間にか自分の庭の様なものになり、頭の中でいつでも思い浮かべられるようになったそうです。
以下は彦坂さんにインタビューした結果です。
彦坂さんは私の入社時には、ちょうど搭載班(クレーン玉掛け職)の作業長をされていた折でした。新入社員の私にとっては強面揃いの作業長の中で、いつも明るく話しかけてもらって自信をつけさせてもらった事を覚えています。
担当者時代には互いに担当船を分け合いながら、切磋琢磨した時もありました。とにかく彦坂さんと一緒に仕事をしていると「負けられない」という気迫が伝わってくるものですから、中途半端な仕事のやり方は出来ません。おかげさまで短期間の内に多くの事を学ばせてもらいました。
その後は職場を分かれて数年が経ち、再び同じ係で仕事をする事になった現在では、その圧倒的な経験で現場指導、技能伝承に努めて頂き、特殊工事の折には一括して取り纏め等、私の行き届かない部分を埋めて頂きながら、今でも多くの教えを頂いております。そんな彦坂さんの一番の望みは後輩がきちんと育ってこの造船所で頑張り続ける事、我々も彦坂さんの足跡を見習い、その精神を引継いで行きたいと思っています。
河野 大介(かわのだいすけ)
三菱重工業(株)下関造船所造船工作部船殻課
外業係長
造船船体工作(船台建造)
(KANRIN(咸臨)第24号(2009年5月)発行当時)