トップページ > シリーズ 造船所のかっこいいオヤジ > Vol.013 - 学会誌 KANRIN(咸臨) 第26号(2009年9月) より

Vol.013 電気艤装のマイスター

1. はじめに

三菱重工ではモノづくりの根幹である技能を重視する弊社の姿勢を改めて示すことを狙いに「範師」の称号を設定し、傑出した技能をもつ「技能の最高峰」の社員を範師に認定しています。認定基準は人物面と功績面から定められています。

人物面は3項目あり、以下のとおりです。

   1.  技能者として「技能」レベルが傑出しており、匠のわざをもっていること
   2.  技能経験をベースとした「総合力・応用力(現場作業の課題・問題解決、新規業務取組み能力等)」「知識(作業の要領・知識、関連工程・製品・工具等への精通)」が際立って優れていること
   3.  「技能伝承・後輩育成」に熱心であり、「人格」も他の範となる存在であること

これに功績面からみた1項目が加わります。

   4.  「業務上の功績が顕著であること」

今回は電気艤装技術により範師の称号を受けた藤原啓志さんを紹介いたします。

藤原さんは1970年(昭和45年)4月に三菱重工に入社され、訓練生教育の後6月に希望通り電気艤装課に配属されました。工業高校では機械学科卒業のため独学や定時制専門学校で電気・電子に関する知識を学習されました。1980年に艦艇係に配属。潜水艦・潜水機種の電気艤装を担当することになりさらに高度な知識が必要となったことをきっかけに公的免許の取得を目標とされ、1981年には電気工事士、高圧電気技術者第三種電気主任技術者の資格を取得されています。

艦艇係では14隻の潜水艦艤装と並行して、観光潜水船、海洋放射能測定システム、かいこう、海底調査海底埋設用無人潜水装置など様々な海洋機種も手がけられ幣社の事業所表彰を6回受賞されています。商船から艦艇に至るまであらゆる造船を手がけた電気艤装の第一人者であり、2006年に「範師」の称号を受けられ、また安全優良職長として1999年には労働大臣顕彰を、2007年には海事功労により国土交通省大臣表彰も受けられています。

藤原さんにいままでの経験をお聞きしましたのでご紹介いたします。

2. エンジニアの原点

藤原さんが仕事で大きく成長を遂げたと実感したのは、25歳の時のベネズエラ籍船への保証乗船だったとのことで、その時のエピソードをお聞きしました。

−電気艤装のエンジニアとして印象に残った仕事は何でしょう?

「入社以来ギャランティエンジニアとして処女航海に同乗し、全船の電気艤装を一手に引き受けることが目標でした。25歳の時についにそのチャンスを得られました。当時のギャランティ期間は3ヶ月と長いものでしたが、この期間を設計・機関担当と共に3人で乗船し、トラブルに対応しました。航路は国内(広島、神戸、千葉)で貨物を積んだ後、ハワイを経てパナマ運河を通りベネズエラへ。同国内の港数箇所で荷降ろしした後に、アメリカのヒューストン、ニューオーリンズに寄港。そこで下船し、帰国しました。」

「その間、大きなトラブルは2回ありました。1度目のトラブルは通信機の不調。無線室の通信機に不具合が生じ、通信が不可能になりました。折にもクルーの一人が体調を崩し、ハワイで下船する必要がありましたが、通信ができない。原因はパワートランジスタの故障だったのですが、原因が判明するまで2日間図面と通信機と格闘しました。」

「2度目のトラブルはデッキクレーンの故障。ドイツメーカー製でしたが、当時の私にとって初めて見る回路でした。デッキクレーンが使えず荷役作業が滞れば、その分港湾への支払い費用が増えてしまいます。この時は修復まで2日間の徹夜作業になりました。ラインをひとつずつ検証し信号が出ていないユニットを突き止めました。」

「当時、建造段階では機関室内の制御システム担当だったので通信機器や荷役装置は専門外だったのですが、集中すれば何とかなるものです。」

3. 座右の銘

藤原さんに座右の銘を問うと、「素直な心」とのこと。その理由を尋ねると次のような答が返ってきました。

「人や物に対し、謙虚で素直な心を持つことが大切と思います。ほんの一部を経験しただけすべてを理解したように考える人も中にはいますが、本当は経験を積めば積むほど至らない部分が見えてくるものです。私は自分で触って自分で納得したものを仕事の基準にしてきました。」

藤原さんの未経験のトラブルへの対応力は、この着実な経験則が土台になっているのでしょう。

 

4. 休日の過ごし方

−お休みの日はどのように過ごされていますか?

「作業長・係長時代はなんといっても仕事が最優先となっていましたが、最近は現場の最前線から少し離れたためようやく人並みに連休を楽しむことができるようになりました。休日には今までの罪滅ぼしで妻や家族と旅行に行くのが楽しみです。昨年は念願の北海道旅行、今年は永年勤続旅行でハワイに、夏休みには九州へと楽しんでいます。」

5. おわりに

藤原さんの言葉で印象に残ったものがありました。

「一生懸命まじめにやってきただけ。人には負けたくないし、人より如何に早くきれいに仕上げるかをいつも考えながらやってきました。正直に言って指示されるのはあまり好きでないので、最初から要求以上のことをするようにしてきました。自分自身を磨いて一生懸命努力してきたら、自ずと結果が残ったのだと思います。」

「よそに負けないよう効率を上げて、電装課や会社の存在価値を高めたい。そのためにも自分の時間をできるだけ割いて、自分が習得した技術を後輩に伝えていきたい。」

 

イメージ

このシリーズでご紹介された他造船所の「かっこいいオヤジ」にも共通のことと思いますが、現場の「負けん気と責任感」、言い換えれば「向上心と使命感」により日本の造船所では良い船が作られているのだと思います。

藤原さん、これからも三菱重工の現場を引っ張っていってください。


中坪   高(なかつぼたかし)

三菱重工業(株)神戸造船所船舶海洋部計画設計課
居住区内装設計
(KANRIN(咸臨)第26号(2009年9月)発行当時)

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