トップページ > シリーズ 造船所のかっこいいオヤジ > Vol.017 - 学会誌 KANRIN (咸臨) 第34号(2011年1月) より

シリーズ 造船所のかっこいいオヤジ 造船溶接のカリスマ

1. はじめに


竹縄洋一さん

(株)新来島どっく大西工場のかっこいいオヤジ、船殻工作部外業課搭載2係職長の「竹縄洋一さん」を紹介します。

竹縄さんは昭和46年に入社、組立電溶職に配属され以降10数年間を造船溶接一筋に腕を磨き、その後監督職として20数年間を溶接の指導者としてキャリアを積んだ大ベテランです。

現在でも現役で活躍し、弊社にとっては溶接に関することでは生き字引でもあり、また後進たちにとってはまさにカリスマ的な存在でもあります。

入社当時の大西工場は2基目の新造船の建造ドックが完成するなど、まさに会社が大きく発展していく時期で、建造船も1万トンクラスの船から2万〜3万トンを建造した後、8万トンタンカー、さらには12万トンタンカーへと急激に大型化していきました。

当時の造船溶接は、軟鋼用溶接棒を使用した手溶接が主体でしたが、徐々に高張力鋼用の低水素系溶接棒や、炭酸ガス半自動溶接の使用が始まっていました。また船の大型化に伴い、エレクトロスラグ溶接、セス溶接、FAB溶接などの自動溶接も採用されるなど、弊社においてはまさに造船溶接の黎明期でもありました。

2. 競争の中で切磋琢磨して

私(平田)も竹縄さんとほぼ同時期に入社しましたが、当時を振り返ると、発展途上の会社ということもあって、本工も協力工も含めて多くの人が溶接作業に携わっていました。若くても腕のいい人は仲間から高い評価と尊敬を受け、一目置かれる存在となります。従って、職場は少しでも他人よりきれいなビードを置きたい、より早く溶接をしたいと溶接の腕を競い合う空気で活気に満ちていました。

竹縄さんはこのような中で、早くからその技量を高く評価された一人でした。しかしそのような評価を受けるためには人知れず大変な苦労もあったようです。昔の職人は決して自分の技を人に教えることはせず、むしろ隠して盗まれないようにしていた人が多かったようです。それでも竹縄さんは、先輩に教えを乞い、作業しているところを見せて貰い、昼休みなどを利用して練習するといったことを積み重ねることで自分なりのスキルを身につけていったと聞いています。そんな努力の甲斐もあって、入社3年余りで愛媛県の溶接コンクールで2位に入賞する快挙を達成しました。弊社ではこの記録は30年以上経ったいまも誰も抜くことができていません。

3. 監督職として


溶接作業

昭和60年前後は造船溶接法も手溶接から炭酸ガス半自動溶接へと大きな変遷があった時期でした。手溶接から炭酸ガス溶接への移行には作業者の間では抵抗が少なからずあり、同時期に監督職となった竹縄さんは、炭酸ガス溶接の普及と拡大を担う立場となっていました。本人自身も抵抗があった中、自ら進んで新しい技能を習得し、後進の指導にあたり、この地域の数多い造船所の中で、いち早く手溶接から炭酸ガス溶接への切り替えを行うことが出来ました。社員はその経験と炭酸ガス溶接ができるということで近隣の造船所から引き抜かれることも多く、(株)新来島は炭酸ガス溶接の養成所とも揶揄されていました。このような中、竹縄さんは監督職となっても自身の技量向上に日々精進しながら、20数年にわたり次々に入る後進の指導を続け、多くの優れた溶接技能者を育成してきました。そして平成13年には高度熟練技能者(輸送用機械器具製造関係業種、溶接職種)に認定されています。

また、溶接技能の先達としてだけでなく、監督職としても、夜中の作業も日曜日も厭わない鉄人的タフさで、自ら働き、やって見せて率先垂範でみんなを引っ張っていくタイプで、安全管理、工程管理、品質管理においてもその手腕は高く評価されています。

4. インタビュー

Q.
造船所に入ったきっかけは何ですか?
学校を卒業してしばらくは東京で働いていましたが、都合で故郷の愛媛に帰る事にしました。前の会社で溶接関係の仕事をしていましたので、溶接に興味があり、親戚が(株)新来島どっくに勤めていたこともあってその人の紹介で入社しました。
Q.
造船のどんなところに魅力を感じていますか?
同じことを繰り返す単純作業ではなく、個人の裁量範囲が広いのが魅力ですね。溶接で言うと、継手の状況が絶えず変化し、板厚、間隙、姿勢などその時々で違いますから、溶接条件も状況に合わせて、電流、電圧、速度、運棒、積層数などをその都度判断して適性な条件を選択することが要求されます。
ブロックの組立、搭載時の位置決めなど、その他の職種でもやたらと判断業務が多く、個々人が固有技術について基本的な知識と実行できるスキルを持っていないと良い船はできません。
Q.
いままでに一番苦しかったことは何ですか?
監督職となって、組立から外業に異動した時です。作業の内容がガラッと変わり世界が変わったように感じました。若いときに昇進したので、周りは年配の職人さんが多くいて思うように動いてくれなくて1年半ほどは本当に苦しかったです。溶接の腕には自信があったので、話をしていくうちに理解してくれて、言うことを聞いてくれるようになりました。もし自分に溶接の技量が無ければつぶれていたと思います。
Q.
いままでに一番嬉しかったことは何ですか?
難しい船を無事進水させたときですかね。15万トンのバルクキャリアー、3,500個積みのコンテナ船など、当時としては大型船で経験も無かったので、試行錯誤しながら職場の仲間と協力して何とかやり遂げたのですが、建造中苦しかった分、進水時の喜びはひときわ大きかったです。
Q.
若い人に伝えたいことは何ですか?
自分の技能の向上にもっと貪欲に取り組んで欲しいと思います。そのためには疑問に思うことは積極的に先輩に納得のいくまで聞いてほしい。聞いて実行して自分なりに考えてさらに新たな疑問点を発見してまた聞く。その繰り返しで技量が向上していきます。自分だけの勝手な判断や思い込みは自身の向上の妨げにもなるので危険です。先輩と上手にコミュニケーションをとるようにしてください。
Q.
プライベートについて
これといった趣味はありません。暇なときにパチンコをするくらいですかね。子供も大きくなって、夫婦ですごす時間が多くなりました。日曜日は家内と2人でドライブしたり食事に出かけたりしています。今は年に数回帰ってくる孫に会うことが一番の楽しみです。

5. おわりに

竹縄さんは造船所ではどこにでもいる職人かたぎの人です。彼のような人がたくさんいて、造船を支えてきたと思います。船は大きい構造物なので、そう簡単には機械化・自動化はできません。これからも彼のような人が次々に出てきて、造船を支えてくれることでしょう。


平田初男(ひらたはつお)

(株)新来島どっく船舶造修本部
グループ統括生産管理室
室長
生産管理
(KANRIN (咸臨) 第34号(2011年1月) 発行当時)

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