国内唯一の総合アンカー専門製造メーカーがある。その会社が中村技研工業である。今回はそんなアンカーを専門に扱っている中村技研工業にインタビューさせて頂いた。本社兼工場は東京都足立区の北千住駅から徒歩20分ほど歩いた下町の雰囲気の残る場所に位置する(写真1)。ここでは中小型船舶用のアンカーを一からすべて手作業で製造している。本記事では従業員2名と少数ながらも,熱心な研究により革新的なアンカーを開発,世に送り出し続ける中村技研工業について紹介させて頂く。
1927年に北足立郡千住村にてジッポライターのケースなどの金属機械部品金具を製造していたのが中村技研工業の起源である。その後戦局の推移により軍需品製造を行っていたが,1945年戦災により工場が全焼被害を受け,現在の千住大川町に移転する。その12年後の1957年に有限会社中村製作所を設立,現社長である中村氏が先代から続く金属加工の仕事をこなす傍ら,以前から興味を持っていた船舶のアンカーについて本格的に研究をスタートさせたのが,中村技研工業のアンカーメーカーとしての始まりである。研究を始めた10年後にゴムボート用デルタ型アンカーを発売する(写真2)。ゴムボートに傷をつけにくく,折りたたむことができ,さらに性能も良いことからヒット商品となる。この時開発された『デルタ型』は中村技研工業のアンカー開発の土台となり,現在開発されているアンカーもこの『デルタ型』からヒントを得たものが多い。デルタ型アンカー開発の7年後に現在の有限会社中村技研工業と社名を変更,船舶用アンカーだけではなく海洋構造物用アンカーについても研究を開始し,さらにアンカーの開発を加速させていく。その後,ヨット・ボート用のロータウィングアンカー,デルタハイテンアンカー,本船用ストックレスアンカーDA-1などの新型アンカーを発表,販売していった。この頃から中村技研のアンカーに対する基本方針である安定性能を重んじる方針が確立される。把駐力はアンカーの重量を増せば大きくなるが,安定性はアンカーの大小に関係ないという考えである。中村技研工業ではこのように従来とは異なる点に着目し,アンカー開発を行ってきた。また,中村技研工業では顧客のニーズに応えられるように重量の異なるアンカーの製造を可能にしている。橋本氏は,"顧客のニーズに応えられないのは職人じゃない"と仰っており,職人としてのプライドを持ち製造にあたっている。現在は中小型船舶用アンカーだけではなく,本船用アンカーの研究・開発も積極的に行っている。さらに,あまり研究の進んでいない新型の海洋構造物用アンカーについても,性能面,コスト面ともに既存のアンカーよりも優れたものを追求し,研究を重ねている。新たなアンカーが誕生することにより港湾の使い方が変わり,世界が変わると橋本氏は話す。
実際にアンカーの設計などを行っている事務所と製作を行っている工場を見学させて頂くことができた。事務所の中にも数百グラムの小型のアンカーがいたるところに置かれていた。ここにはアンカーに関する膨大な資料が保管されているほか,簡易的な錨水槽が用意されていた。ここを訪れた人には必ず実際に手で小型のアンカーを曳いてもらっているとのことであった。これは中村技研工業のアンカーの特徴でもあるV型爪を備えたV型アンカーの性能について体感してもらうのが狙いだ。筆者も実際に曳かせて頂いたが,中村技研工業の開発した錨の方が大きな力を発揮していることを感じることができた。これは,砂の中でアンカーが捉えることのできる砂の量に明確な違いがあるためだと橋本氏は話す。また,事務所内には多数の感謝状が飾られていた。これらは中村技研工業のアンカーを搭載していたことにより,走錨事故を免れた方達からの感謝状であった。既存のアンカーでは走錨していたが,最後に中村技研工業が開発したアンカーを海に投げ入れたところ走錨は止まったのだという。アンカーは本来どんな荒波の中であっても「信頼」できるものであり,船乗りたちにとって「希望」でなくてはならない。しかし,既存のアンカーでは走錨事故は防ぐことはできていない。そのような現在において,船乗りたちが「信頼」できるアンカーを開発・製造していることに深く感銘を受けた。
工場では中小型船舶用のアンカーを製造している。年間300丁ものアンカーを一人で製造されているということに非常に驚かされた。本船用の大きなアンカーはこの工場では制作できないため,鋳造が行える大きな工場に依頼するそうだ。工場に入ると大きな加工機械が目に飛び込んできた。工場には切削加工や曲げ加工などをおこなう機械が設置されていた。また,これらの加工用機械も錨を製造しやすいように改良が加えられており,メンテナンスで訪れた機械を製造した会社の社員でさえ,加工されていることに気付かないほどのクオリティで改良されていた。このような点でも,かつて金属加工を行っていた中村技研工業の技術力の高さを伺うことができた。工場内は乱雑に物があるように見えるものの,床にはゴミひとつ落ちておらず,整理整頓もなされていた(写真6)。このような当たり前のことが確実にこなされているからこそ良い商品,良いアイディアを生み出すことができるのだと感じた。
ここで造られるアンカーは鉄板を加工して作られている。製作は10丁同時に行われ,完成するまで約1カ月半かかる。アンカーの製作工程は鉄板をアンカーの爪などの部材ごとに切ることから始まる。鉄板を切るとまず面取りを行う。その後に曲げ加工,溶接を行いこの段階である程度アンカーを完成させておく。ここで一度アンカーをメッキ加工のため外部の会社へ持っていく。メッキ加工されたアンカーはバリ取りが施され,再度組み立てられ完成する。バリ取りの作業はアンカー全体の細かい部分まで丁寧に行われる。この理由はバリでロープが切断されたり,手を切るなどの怪我を防ぐためとのことであった。こういった丁寧な業こそが職人であり,社会から必要とされる心遣いだと感じさせられた。それと同時に橋本氏は"我々はただ錨を売っているのではなく,商品としての錨を売っているんだ"とも仰っていた。見栄えの悪いアンカーは世に出せないという職人のプライドを感じさせられた。
今回取材させて頂いた中村技研工業は決して大きな企業とは言えないが,その志は非常に高く脱帽させられた。世の中のほとんどの人は錨について考えたことはないことと思う。しかし,そんな錨を本気で研究し,新しい錨を開発することで世界を変えようとしている人たちがいることを知って頂けたらと思う。今回の取材で最も印象に残っているのは職人としてのプライドを持って仕事に取り組んでいる姿だった。常にさらに良いアンカーを追求し,顧客にとって何が必要かを考え,持てる技術の全てを出しつくし商品としてのアンカーを販売している。このような真摯に物事と向き合う姿勢を尊敬し,今後の研究活動に活かしていきたい。筆者自身もアンカーを研究しており今回の突撃レポートは学ぶことが非常に多く有意義な時間であったことは間違いない。今後筆者自身も中村技研工業に負けないようなアンカーを開発していきたい。
本記事の取材にあたり,大変お忙しい中インタビューおよび工場見学に快く応じていただいた橋本様に深く御礼申し上げます。長時間の取材にご協力頂き本当にありがとうございました。また,取材の機会を与えてくださった日本船舶海洋工学会ならびに編集委員会委員各位に深く御礼申し上げます。
大谷 育穂(おおたにいくほ)
東京海洋大学大学院海洋科学技術研究科
海洋工学