フェリーなどの旅客船の内装デザインを行うidealogicdesign株式会社(以下I社)を訪問し、内装デザイン業務とそれに携わる方々の活動を取材してきた。筆者は、船舶工学を専攻し、船舶の設計に関わる仕事に就くことを目指しているが、'デザイン'について学ぶのは初めての経験であった。また、一人で運営するデザイン会社は、一般に想像する会社とは随分と違う、驚きの内容であった。本稿では、I社で行われている業務について、筆者が学んだことと、社長であり、デザイナーである笠井氏を紹介させていただく。
I社は、東京、杉並区の閑静な住宅の一角にある。現在は、自宅が事務所を兼ねているが、このようなところで大きな船、一隻分の内装デザインが行われていることは驚きであった。同社は、社長である笠井統太氏が一人で運営し、デザイン、営業などの一切を切り盛りしていた。
社名の「idealogicdesign」は、笠井氏がデザインの基本要素と考える、発想(idea)、論理(logic)、設計(design)を組み合わせて命名されている。また、笠井氏の説明によると、この3要素には順序があり、船舶の設計においては、対象船舶の航路や定員、ターゲットとなる客層が設定され、それに応じたideaと具現化するlogicを経て、デザインという作業が進行するという。したがって、社名のキーワードの順序も、このとおりであるべきとの考えに基づいているとのことであった。
笠井氏は、大学では空間環境デザインを専攻し、卒業後は企業のオフィスやホテルなどの内装デザインを行う会社に就職をした。そこでの仕事の一つとして、客船「飛鳥Ⅱ」改修時のデザインの受注に成功したことをきっかけに、船のデザインに携わるようになった。その後、国際フェリー「ニューカメリア」やレストラン船「レディクリスタル」の改装などを手掛け、船の内装では広く知られるようになり、2007年にI社を設立して独立した。本人曰く、会社勤めではなく、通勤の無い仕事スタイルに惹かれたとか。I社の設立当時は、自宅とは別のオフィスを構え、従業員も抱えていたが、現在は笠井氏一人ですべての業務をこなしている。
笠井氏の説明では、内装デザインの仕事をするには、パソコン(PC)が一台あればよいそうだ。実際、訪問した事務所を見渡してみても、PC以外の目立った機材はほとんどなく、内装材のサンプルなどの参考資料が置かれている程度であった。さすがに、使用するPCは一台という訳ではなかったが、メインで使用するPC以外にも計算機を置いているのは、処理に時間を要する作業をさせるためであるとのこと。また、作業に使用しているソフトウェア環境も、 特別に開発したものではなく、Vector Worksという、この分野では一般的なソフトウェアを使用しているそうだ。特に時間がかかったり、日程の都合で時間が足りなかったりする場合には、作業を外注に出すこともあるが、特殊な作業を発注する訳ではないとのこと。
今回の取材で、船の内装デザインは、オフィスなどの一般的な建物のデザインと規模も内容も全く異なるということが印象的であった。例えば、オフィスのデザインの場合、部屋単位やフロア単位に区切ってデザイン作業を行うことが多いが、船の内装デザインでは、一隻全てを担当できるそうだ。また、陸上の建物の場合、デザインする床面積は、せいぜい200m²程度であるが、船の場合は内航フェリーであっても、2,000m²×3層あるので、その違いは明らかである。また、デザインの内容もエントランス、客室、レストランを含むパブリックスペースと多岐にわたり、これら全てを一貫してデザインできる仕事は、デザイナーにとって大変魅力的であるとのこと。
I社が仕事を受注するパターンは二つに大別できるという。一つは、船主が造船所に同社を指定する場合、もう一つは、船主の指定はないが、造船所が同社にデザインを依頼する場合である。また、I社はどの系列にも属さない、いわゆるフリーの会社である。この分野の大抵のデザイン会社が、造船所や船社の系列に入っている中で、フリーのデザイン会社は珍しい存在である。また、笠井氏の説明によると、I社は、自ら営業を行うことはしないという。つまり、創り上げられた作品であるフェリーが運航され、多くの乗船者の目に触れ、利用されることで、評判が広がり、乗客に気に入ってもらえることが、何よりの営業となると考えているとのこと。同様に、乗船者がブログやツイッターで感想を述べたり、写真を掲載したりすることが、評価に繋がっていることが多いと指摘された。船が気に入ったからこそ、他人に話をしたくなるのであろう。そう思うと、自分がデザインした船が、ネット上に掲載されることは、励みになるという。
船の内装デザインの仕事は、造船所から送られてくる一般配置図(GA)を基に、空間の色と形を設計する。GAは造船所が決め、それを境界条件として'デザイン'をするのが一般的であるという。しかし、笠井氏の場合、GAそのものを変えて、デザインを提案することがあるそうだ。これは、利用者の視点に立ち、できるだけ広いスペースを使えるように、デッドスペースを減らすように変更を求める場合が多いという。「船は体積を売っているビジネスである」という、笠井氏の発言は、とても印象的であった。笠井氏の得意とする定期フェリーの場合、この「体積を売る」という点がクローズアップされるという。一般に客船と呼ばれるクルーズフェリーと異なり、輸送を主たる目的とする定期フェリーの場合、低廉な乗船費の代わりに船内の多くのサービスは有料で提供される。したがって、船内の施設=スペースは、利益を発生させる源だというのが、前提になるというのだ。利益を発生しないスペース=デッドスペースは、徹底的に省くことが大切だと笠井氏は語る。構造設計の立場との衝突も多いそうだが、より良い船を造りたいという気持ちは、船主、造船所とも共通なので、最終的には理解されるともいう。
完成したデザインは、3次元の配置図にレンダリングを施した3D-CG(コンピュータ・グラフィックス)にして、造船所に提供される。図4は、内航フェリー受付ホールのデザイン画の一例であるが、平面的な一般配置図(GA)に比べて、とても分かりやすくなっている。また、デザイン案はプレゼンテーションを経て承認されることになるが、これはロビーや客室などと、区域に分けて行われ、一つの区域のプレゼンテーションだけで2時間に及ぶこともあるそうだ。図5は、プレゼンテーションで使われるCGの例と完成後の実物の写真である。図4の一般配置図の一部となっているが、このようにすると素人の筆者にも、そのデザインの素晴らしさがよく判った。
本船は、元々は北海道と本州を結ぶ航路を走る'ほるす'という内航フェリーであったが、2007年に運航休止、売却後、韓国のパンスターラインにより改修されて、日本-韓国間の国際フェリーとして投入された。このときの改修のデザインを請け負ったのが、笠井氏であった。また、同船は2010年に津軽海峡フェリーの「ブルードルフィン」として、青函航路に戻ってきた。パンスターハニーとしての就航からブルードルフィンとしての改修までの期間は約2年であり、その間にかなり老朽化が進んでいたが、笠井氏は同船を見事に復活させた。2度にわたる改修工事に同じデザイナーが携わることができた、珍しい例である。
シルバープリンセスは、2012年に八戸―苫小牧航路に就航した新造のフェリーであるが、この内装デザインは、笠井氏のこれまでのデザインの代表作となっている。この船の場合、笠井氏のデザインは客室やパブリックスペースだけにとどまらず、乗組員の居住区も全て携わったという。完成させたデザイン画は100枚を超え、同船のロゴも以前から有ったものを修正して復活させ、コンセプトに沿って刷新したという。旅客輸送より貨物輸送の方に重きを置かれる八戸―苫小牧航路では、笠井氏のスタイリッシュなデザイン案に注文がつくことも多く、最終案の決定までには、多くの苦労があったようだ。
橘丸は、かつて東京と伊豆七島を結ぶ航路に就航していた「東京湾の女王」と呼ばれた定期船の船名であった。今回、東海汽船がこの船名を復活させ、新造船に命名した。自ら「船キチ」と称する柳原良平画伯が船名を選定し、画伯がイエローオーカー色(黄土色)とオリーブ色のカラーリングも決めたことで有名になった。笠井氏は内装デザインを担当するにあたり、柳原画伯に橘丸で使用するキャラクター設定を依頼し、船内各所にそれを配する遊び心溢れるデザインとした。また、今では絶版となってしまった、柳原画伯の先代橘丸にまつわる絵本を船内に展示するユニークな演出も行っている。
先代橘丸は1973年に引退したが、内装に関する資料が残っておらず、先代をモチーフにすることができなかったそうだ。笠井氏は、外装のカラーリングを基に内装のデザインを進めたという。デザイン決定後、橘丸の内装が掲載されている雑誌を見つけたが、そのお洒落さに驚き、先代のデザインを活かせなかったことに少々悔しい思いをしたとも語っていた。素人には分からないが、デザインの世界は奥深いと感じた。
笠井氏のデザインの目標は、「もっと乗っていたい」と言わせる船を造ることだそうだ。二等船室の乗客が、リピーターとしてグレードアップした客室に戻ってくるような部屋のデザインをしたいという。笠井氏は、船のデザインだけでなく、港自身をもっとお洒落にして、乗船する人だけではなく、人が集まり、遊べる空間の一つになればいいのにとも語っていた。
本記事執筆のための取材にあたり、貴重な時間を割き、丁寧に対応いただいた笠井統太氏に、深く御礼申し上げます。また、本稿作成にあたり写真ならびに資料の提供をいただいたidealogicdesign株式会社ならびに株式会社graphsystemに感謝申し上げます。このような機会を与えていただいた、日本船舶海洋工学会の関係者に、感謝を申し上げます。学会誌に原稿を執筆するのはもちろん、一人で取材に行くこともはじめてであり、とても良い経験となりました。
西村 奈央子
神戸大学大学院海事科学研究科
海事科学専攻
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