この度、今治造船よりご紹介するのは、このシリーズでは異例の35歳、かっこいいオヤジ、いえ、かっこいいニイヤン「次田友則」さんです。本コーナーで今まで掲載された方々と比較すると年齢のギャップに驚かれるかもしれません。
見た目もかっこいい次田さんですが、仕事の腕も超一流。焼き曲げでは既に社内に右に出る者がいない達人で、これからの造船業界発展を担うエースです。ではなぜその若さで焼き曲げの第一人者となれたのか。秘密は入社以来の経歴に隠されていました。
焼き曲げとはいったい何か。ご存知とは思いますが簡単にご紹介します。焼き曲げはその名の通り、ガスバーナーの炎で鋼材を加熱した直後に水で冷やし、生じる温度差を利用して曲げる技法で、ぎょう鉄とも呼ばれます。プレスによる曲げ(冷間加工)が2次元的な(くの字の)変形を与えるのに対し、焼き曲げでは様々な方向に線状加熱をすることで3次元的な曲げを可能にします。
教わっただけでは誰でもうまくできる訳ではないのが焼き曲げ。その醍醐味はいかに少ない加熱で目標の形に仕上げるかにあるといいます。
今から十数年前、社内で焼き曲げができる人材を育成するため、某造船所様のご協力のもと研修を受け入れて頂ける機会がありました。そこで抜擢されたのが入社3年目の次田さんでした。当時指導に当たられた、次田さんが焼き曲げの師匠と呼ぶ「I先生」は一言でいうなら昔気質の職人のイメージ。手とり足とり教えるのではなく、基本を学んだ後は見て盗めという方だったそうで、そんなI先生に「勘が良い」と言ってもらえたことが今でも心に残っているそうです。いきなり焼き曲げ武者修行に出たのですが、勘だけでものにしたわけではありません。本人曰く、そこでは研修前に学んでいたプレス加工の経験が役立ったと言います。センスもさることながら、こうした日頃の確かな積み重ねが次田さんの技術を支えているのでしょう。
半年後、研修を終えた次田さんはその後も社内で腕を磨き、26歳の頃から3年間は関連会社での曲げ工程業務の立ち上げに携わります。一人前になるのに10年はかかると言われる焼き曲げですが、このときすでに立場は指導者。人材はもちろん設備も十分に揃わない中、新入社員から外国人研修生、そして同僚に至るまでたくさんの人々を育成しました。夜中まで業務が続くことも多く、本人も「このときばかりはとても過酷だった」と振り返ります。
その後も幾つか勤務地が変わり、7年前から現在までは弊社の多度津事業所に勤務しています。様々な事業所で勤務してきた経験から、「時間さえあれば船一隻分、全ての外板を自分で曲げられる」と言います。控えめに自分の経歴を語りつつも、このときは少し誇らしげでした。
そんな次田さんも、初めてバルバスバウ上部の複雑な曲げに取り組んだときは失敗してしまったそうです。焼き曲げはやり直しがきかない、非常にシビアな作業でもあるのです。
次田さんは焼き曲げには何より経験が必要だと話します。「数をこなすことで勘が働くようになり、仮に思惑と違う曲がり方をしてもそれを次に利用できる」そして、「完成迄の手順が想像できるようになれば、後はそれに近づけるだけ」と。
現在は、部下を管理する立場でもあります。「今日は暇な方」と言いながらも、インタビュー中にひっきりなしに電話が鳴ります。
次田さん自身は「まだまだ俺は一人前とは言えない」と、自分の技術に満足していません。外部の情報も積極的に吸収し、更に極めたいとの想いも強いのですが、組織上若くしての技術指導者を期待されたこともあり、思うように技術を磨く余裕がないと、少しばかり本音をこぼされました。その分、今の教え子にかける期待は大きく、彼らが自分を追い抜く日が来るのが待ち遠しいそうです。ただし今のところは「若いやつの倍の速さでやれる」とキッパリ。現場で20歳の教え子に指導している際は、インタビュー中に見せる和やかさとは違う、職人としての厳しく真剣な一面を見せました。
家に帰ると、2 人の男の子のお父さんに戻る次田さん。自身の野球の経験を生かし、週に3日、息子さんが所属する少年ソフトボールチームのコーチとして活躍しています。さらにPTAでは副会長も担っているというから驚きです。「時間がない」と笑顔でつぶやく様子はとても充実した表情に見えました。
仕事でも私生活でも全力で取り組む姿は、まさに走攻守そろった今治造船のイチローと言っても過言ではありません。(見た目も少し似てますよね)
本来ならば、オヤジと呼ぶにはまだまだ若い次田さん。「今後も会社から言われれば、なんでもやるよ」と意欲たっぷりの様子でした。
次のエースを育てるだけでなく、次田さんは今後もますます成長・活躍されることでしょう。
杉田 浩士(すぎた こうじ)
今治造船(株) 基本設計グループ計画第一チーム 課員
造船計画業務
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